秋か・・・

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今日のお昼わが家のテラスで食事。

これまでの夏の暑さに代わって爽やかな風が吹き抜けていく。

庭木のシルエット越しに空を見上げると澄んだ青い空に白い雲。

九月と言えば夏であり秋である。

年によっては遅い夏、早い秋のこともある。

今日、女優樹木希林が亡くなったことを知る。

次第に我々の年代の人たちが旅立っていく。

そういう年になったんだと、いやがうえにも意識せざるを得なくなる。

新しい時代が流れていく。

われわれの意識では考えられない価値観や進化がどんどん進んでいく。

それらに遅れないようについていこうという意識はあるが、実際には難しく疲れることである。

そろそろ無理することは諦めて歩を緩めて自分の周りを静かに見てみることも必要ではないかと自問する。

常に精いっぱいのテンションで思いを伝えようとしてきたけれど、どうにもその努力の効果は思いのほか上がらない。

これらの現象はときに私を苛立たせる。

そんなとき、私もまだまだ若いなと自分をそれなりに認めてきた。

しかしながら、いつまでも同じことの繰り返しに大きく失望することもある。

それはおそらく私の期待が勝手に大きくなっているに過ぎないなのだろう。

ことにはそれぞれ、それなりのバランスというものがある。

人生を己の信念を通して生きていける人たちもいる。

かといってどう生きていくことがそうなのか私には残念ながらよくわからないし常に揺れ動く。

一歩も二歩も引いてゆっくりあたりを眺めて見る余裕を持とうと思いながら何かあればついつい近づきすぎてしまう。

それはそれなりにどうすればいいのかそのたびに状況が違っていて、うまくいくときもあれば自己嫌悪に陥ることもる。

振り返るとそんなことの繰り返しでここまでやってきた。

さて、果たしてこれから何がどうなるのやら。

期待もあれば不安もある。

だから、時の流れには刃向かわず、されど流されっぱなしにはならず、いくらかの存在感を意識することは諦めない。

秋っていうのは季節なのか人生なのか・・・・。

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想定外

様々な出来事が起きるたびに決まったように「想定外」という言葉が出てくる。
最近、豪雨や地震によって大きな被害が起きている。地震や豪雨は日本にとって特別のことではなくしばしば起きることである。
最近はこれまでの感覚ではイメージできない様々な現実が現れる。
そのたびにその関係者たちは異口同音にこれらは想定外の状況であると言う。
そう言っているのを聞くたびに、じゃあどれだけのことを事前に想定しているのかと尋ねてみたくなる。
思うに、事前に想定できるなどということは人が勝手にそんなふうに思い込んでいるだけで、自然の動きなどそう簡単にあれこれ明確に想定できるものではないはずである。
人の想定能力などほんのわずかのことしかできない。
それを文明の発達は、未来やどういうことが起きるなどを想定できると勘違いしてしまっている。
いかに緻密な数字を並べてみても、それらはあくまでも机上の計算数字であって決して現実ではない。
事前の想定数字はいとも簡単に打ち砕かれてしまう。
もとからそういう数字を具体的に並べることは、反対に人の心に勘違いや安心感を感じさせてしまって、いざというときにより大きな被害を呼ぶことにもなる。
あくまでも自然災害その他さまざまな出来事は人の予知できる範囲では収まらないことを認識することが大事である。
どんな計画も計算通り順調に進んでいくことはない。必ずどこかに障害や躓きは出てくる。
想定外という言葉は言い訳でしかなく、そこまで考えが及びませんでしたということでしかない。
だからどうすべきかを日々真剣に考える以外にない。
適当に格好だけつけて何事も起こらないことを内心で願うようでは想定外という言葉は使えないし使ってはいけない。
どこかで想定外という言葉は、響きのいい雰囲気言葉になっているように思う。

 

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なぜ同じパターン?

このところの様々な組織の不祥事の共通点は、その背景に中心人物の実力、実績、権力、独裁・・という決まったパターンを持っているように思う。
スポーツ界も政界もそのほとんどがどうも本来のその組織は誰のためのものなのかというもっとも単純で基本的な事柄が次第に意識されないようになるところから妙な方向に流れるのではないか。
この組織は経験も実績もあるこの私がいるからこそ上手く機能しているんだと思うようになる。
確かに様々な経験やコネクションは大きな効果を発揮したのだろう。
そのうち自分がすべてやっているんだという錯覚に陥りより権力的になっていく。
私のやり方に従わなければオリンピックにも行けなくなるよとか、政治の世界でも要職からははずされますよという脅しが微妙な形で発信されるようになる。
様々な意見が自由に発言されることがまずは民主主義の基本だが、権力者ににらまれれば将来に影響するということになれば次第に反対意見は少なくなり、権力者の思うようにことが運ばれるようになる。
これは決していいことではないが、ある面では組織としてはことがスムーズに運ぶということでもある。
その結果、より権力者の自己満足が強くなり、物の本質を大きく曲げてしまうことになる。
そして、自由な発言どころかみんなでトップの顔色を見るようになってしまう。
さあ大変です・・・。
権力は独裁を生み、それによって最後は賛成者以外の人たちを排除したり大きく惑わせることに繋がっていく。
進歩発展し様々な経験もしたはずの日本でこんなに時代錯誤の現象がいたるところで起きているということは嘆かわしいというより末恐ろしい。
権力を持つこと、そして権力にぶら下がることはその人たちから見れば非常に心地良いことなのだろう。
様々な業界に存在するヒエラルヒーは内側の実情が一般の人たちにはなかなか見えないから余計に権力指向が優先されるのだろう。
目的がより効果的に達成できるようにするための組織のはずであるから、必ずしも問題を伴うとは限らないが、その組織のトップに立ってしまうと、その心地良さについつい自分の権限をより大きく広げようとしてしまうのだろう。
そのあたりから公私のけじめや真摯な心がどこかへ押しやられてしまうことになる。
それが続けば、その周りには、道を間違えることがあればしっかり諫言できる人たちが次第にいなくなる。いたとしても次第に遠ざけられていく。
これは残念ながら非常に後ろ向きの現象であって、新しい発想や研究、方法など状況を客観的立場でどんどん変えていくことに対して消極的になっていく。
ただトップに立つ人の考え方だけが最優先されることになる。
こういう後ろ向きで限られた選択肢しか認められない状況は大いに改められなければならない。
真のトップとは、物も言う、行動もする、人の意見もしっかり聞く、そして自分の考えをとことん説明する。
その際、強権や詭弁やごまかしは一切しない。
そんなトップであるべきだろう。
そして、われわれもしっかり考え責任をもって物を言うようにしなければならない。
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人は一歩ずつ・・

アメリカ大リーグの試合を改めて意識してみるようになった。
それは野茂に始まり、イチロー、松井と続く日本人選手の活躍とはまた違った形での日本人選手大谷の登場にある。
スタートが彼らよりずっと若いがゆえに、ただ単にスマートで格好いい青年という感じで見ていたが、どうにもこの青年の純粋というか素直というかまさにストレートな心と外見から、それで十分にやっていけるのかという若干の心配心も出てくるような雰囲気でありながら、最も野球に必要な要素をほとんど備えているということがどんどん見えてきた。
イチローや松井のように毎試合出られない中で、これほどの存在感を発揮することは誰が見てももう応援するしかないと思わせてしまう魅力がある。
われわれはこういうヒーローが登場すると、その日その日の活躍にのみ注目するけれど、彼にとってはここまで来るにはそれなりの努力がなされたはずである。
外野席で楽しませてもらうにはそれでもいいけれど、さて果たして自分たちの状況を眺めてみると、日々どれだけの努力と前進がなされているのだろうかと不安になる。
インブルーもスタートしてから10年が知らぬ間に過ぎてしまった。
10年といえばかなりのことができていなければならない年月である。
ナッシュをスタートしたときは10年といえば最高の売り上げをあげていたころである。
時代の変化の中でデニムを中心とするこの業界もすでにピークをとっくの昔に通り過ぎてしまっている。
しかし、残念ながら次の時代の新しい流れがほとんど見えていない状態である。
われわれのデニムスーツはこれまでのデニム業界のデニムありきだとかジーンズありきの考え方から一旦意識を切り離してスタートしている。
それがいいことか悪いことかは問題ではなく、次の時代の次の流れを構築するためには必ずそういう状況を通り過ぎなければならないということを強く意識している。
それがどう流れを創りだすのかは明確には分からないが、日々一歩ずつ様々なことをとことん考えながら新しい道を切り開こうという意欲をもって進めば、そこには必ず新しい道が見えてくるということを確信している。
新しいことは前例がないということで、日々迷うのが当たりまえ。
だから、あれができないこれができないなどと立ち止まっていては何も解決できないし何も見えてこない。
それだけ難しいことなのかもしれないが、その時代の流れの中にインブルーとしての新しい流れ、あるいは新しい道筋を細くとも切り開くことができればこれは最高に嬉しいことである。
私にも10年を過ぎると残念ながら先を焦る気持ちが大きくなってくる。
そのために自分の考え方をスタッフたちに何としてでも伝えたいと思う。
その思いが強くなれば強くなるほど話の内容も厳しくなる。
人のことはあれこれ良く見えるもので、いかようにでも評論できるけれど、いざ自分のことになるとどうしても前に進まなくなってしまう。
私の経験が生かせるとすれば、こういうときほどあれこれ小理屈にこだわったり必要以上に心配したりせず一歩ずつでいいから必ず意識して前に出ることがよいことだ。
どんなに頑張ったとしても誰しも一歩ずつしか前には歩めない。
その結果、大谷選手ほどの輝きは発揮できないにしても、これまでの自分と比べると格段に違った輝きを発揮することができるはずである。
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至福のとき・・・

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つい先日(7日)新しい孫が元気いっぱいでやってきた。
わが三女についに赤ちゃんを授かることができた。
この2、3年結婚できるかどうかで悩んでいたことが全く嘘のように、すでにこうして子供ができるに至った。
何事も過ぎてしまえば、何もなかったようにことは淡々と進んでいく。
これまでに三人の孫をこうして抱いてきたが、今回は特に感慨深い。
三女もこれで姉たちと同じ家族の世界を持つことができたということで本当に一安心。
誰に似ているかなどいつものような話で盛り上がるのだが、私としては男の子であるということもあるけれど元気で走り回る活発な子であればいいなと思っている。
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夏は暑い・・では済まない・・

7月生まれの私にとっては、夏は大好きな季節だった。
半パンとランニングシャツ一枚で過ごせる、いとも気楽な季節だ。
夏休みともなると朝早くから夕方までいかにして遊ぼうかと考えていた。
今考えると確かに夏の気温も今のように30度をはるかに超える温度ではなかったと思う。
恐らく30度を超えるか超えないかぐらいだったのではないか。
外に出るときに必ず水分を持たなければだめなどとは言われたことはない。
水を入れる水筒などほとんど使ったことはない。
ただ、帽子をかぶるのを忘れないようにとはいつも言われていた。
歳を取ったということもあるが、今の暑さは本当に半端ではないと感じる。
朝8時を過ぎるとすでに30度を超えていて外での作業は要注意である。
地球が年々温暖化していくということだが、それは冬も合わせて年間気温が上がっていくということなのだろうか。
それとも冬は必ずしも暖かくなるということではなく雪が一挙にまとめて降ることが起きるということなのだろうか。
いずれにしても夏の暑さは毎年厳しくなっていることは間違いないようだ。
人の命に係わる暑さであると連日テレビ、ラジオから注意喚起のアナウンスが流れる。
暑さの厳しいのは一旦外に出てしまうと逃げ場がなく対応のしようがないところだ。
冬であれば暖かくなるよう服をしっかり着こむことでどうにかカバーできるが、暑さにはどうしようもなく服もこれ以上はどうにもならない。
エアコンのある場所にいるぐらいしかできない。
夏は暑いのは当たり前だ・・で済ませる範囲の暑さであって欲しい。
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予期せぬできごと

予期せぬできごとと言うと、本当に不可抗力の場合もあるだろうが、そういうことはいつでもどこでも起こりうると考えておかなければならないことのようだ。
今回の水害やその前の大阪の地震など結果的には起こりうることなんだと考えざるを得ないが、どこか自分たちのところには起きないだろうという安易さもある。
安心感や人ごと感が強くて、何かあっても自分の周りにも起きるとはなかなか思えず、ついつい自分には関係ないだろうと区別してしまう。
特に今回のような出来事がわずか数日の間に起きてしまうと国の動きも同じような状態なのだろう。その反応はあまりにも遅すぎるし現場の実情認識にしても鈍感過ぎた。
本当にしっかりしたリーダーは不測の出来事が起きたときの動きに現れる。
一杯飲みながら歓談しているモードも瞬時に切り替えることができるかどうか。
実際には集中的な豪雨に長時間見舞われている状況を考えると何か分からないけれどこういう事態を引き起こすのではないかという予測はできたはず。
しかし残念ながら、こういう非常事態に対しての頭と体の反応があまりにも鈍すぎた。
そしてそれができないことの言い訳も多すぎた。
そうしている間に現場の中で機転を利かせて多くの人を救っている人たちもいる。
彼らは誰からも指示されたわけではなく、まさに現場の実情を見たときに今できること、すべきことを瞬時に判断している。
決して普段からその準備をしているわけではないが状況に反応することができた。
緊急を要する非常事態に思うように動かない組織は何のためにあるのか・・・。
危機管理とは何を指すのか・・・。
単なる組織や言葉だけなのか・・・。
狭い国でありながら情報の伝わりかたは何ともゆっくりしている。
だからと言って、何もトップが慌てて現場に行かなくとも状況把握の方法はあるはず。
むしろそういうときは、トップは定位置にいればいい。
いやそこにいなければならない。
そしてその指示によって敏速に動く部下を持たなければならない。
本来の、戦(非常時)において機能しなければならない組織のあり方さえ十分に理解されてないように思える。
危機管理とは国民の目を意識して機能させる?
そんなものではないでしょう・・・。
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デニムという魔物

世の中がこれほど進化している時代に、頑なに原点に近い状況を守り続けている素材はデニムをおいて他にないのではないか。
極端に言ってしまえば、デニムにストレッチ性が付加されたということぐらいが大きな変化で、それ以外はほとんど原形のままではないだろうか。
繊維全体としてはこの間、科学の世界として大きく進化してきた。
そんな中でとにかくデニムだけは、昔はこうだったという懐古的な要素が大きく残っている。
それだけではなく、むしろ昔を外しては話が通らない組み立て方になっている。
私も、もうかれこれ50年デニムと付き合ってきたわけだが、その間当事者としてデニムをあれこれいじっていたころはそれなりに新しい感覚のデニムを創ったぞ・・・ということで変化しているんだと思っていた。
どっぷりその世界に入るということは、それがすべてという意識が非常に強いためにどこかお宅化しているところもあって、周りで誰が何を言おうともデニムが一番なんだという気持ちが非常に強かった。
その思い込みは今考えると異常ともいえるかもしれない。
ファッションがいろんな形で市場を拡大していく中で、デニムはなぜか延々とその地位を守り通してきた。
これだけ何も変わらない単純な素材がその価値を守り続けることはまさに不思議な現象である。
考えてみると荒野の中で丈夫な作業服が必要だということからその価値が認められ、その後のビジネスに繋がってきた。
その流れがいまだにデニム、ジーンズのビジネスの基礎になっている。
なぜにこれほどまでに延々と過去がそのまま生き続けるのかと考えてみると、決してハイテクの世界ではなく、ましてやビッグビジネスでなければ作れないものでもない。                                ミシンさえ持っていれば、あるいはジーズに関する興味と知識さえ持っていれば非常に簡単にその世界に入り込めるという、ある種のハードルの低いB級グルメのような感覚世界なのだと思う。
そういっては失礼だが、私はジーンズは一、二本持っていればいいのではないかと常に思ってきた。
それほどこだわる必要もなく、よく言われる丈夫で長持ちであれば一応の役割は果たすのではないかと思う。
それでもこのインディゴという染料の色合いは確かに人にとって心地よい色であると思う。
穿くほどにそれなりの生きざまを代弁してくれるとともに、一緒に頑張ってきたぞという運命共同体的な感覚になるのも確かである。
いくら時代が進んでもなぜかデニム、ジーンズの世界が現状維持を続けようとしていることは、例えば形態記憶素材のように、このデニムでこのジーンズ(5ポケットスタイル)を作り続けることが形態として記憶されているのではないだろうか。
2~30年前から比べると世の中の状況は驚くほどの変化を遂げているが、その中でも連綿としてその魂を替えずに維持し続けていることに不思議でもあり驚きでもある特殊さを感じる。
時代がいくら変化しても色そのものは無くならず、インディゴブルーの持つ感覚は恐らくこれから先も受け継がれていくと思うが、それはこれまでのジーンズによってのみ受け継がれるのかといえば、アイディア次第でもっとたくさんの可能性が見えてくるように思う。
デニムスーツもその中の一つだと思う。
さあこれからどんどん新しいことを考えよう。
そしてこの先がどうなっていくのかを楽しみにしよう・・・。
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災害はいつ来る?

ある日から突然にとんでもないほどの雨が降り続いた。
一向にやまない雨。
どこにそんなに大量の雨が潜んでいるのか?
素人の頭ではどうしても延々と雨が降り続くことが不思議でならない。
確かに太平洋の水分を大量に吸い込んでそれが上空高くで冷やされて雨に変わる・・・。
その説明は分かるが、なぜにこれほどまでに大量になるのか。
そんなことを言ってみても仕方ない。
現実に何日もそれが帯状に同じ場所に降り続いて広い範囲に莫大な被害を与えてしまった。
水が無ければ人は生きていけない。
いやすべての生き物にとって水は必要である。
だからと言って今回の雨は恵の雨とは言い難く大きな爪痕を残すことになった。
何事も程々ということがいいのだろうが、程々にうまくバランスをとることは最も難しいことなのかもしれない。
備えあれば憂いなしとは言うけれど、雨が降れば雨の備え、地震が来れば地震への備え・・。
それにも準備できる範囲がある。
言うは易く行うは難し。
予期せぬことが予期せぬときに起きる。
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あれこれ言ってる間にもう7月

私の干支である戌年だと喜んでいる間に、はや半年を過ぎ最も昼の時間が長い夏至も通り過ぎてしまった。
あれこれやらなければならないことが一杯ありながら、その実践は反対になかなか進まない。
それでも時間だけはとどまることなく日々刻々と過ぎていく。
若い人には様々なことを経験する時間が必要だろう。
だが私にはこれまでの経験をいかに有効に伝えていくかということに頭を悩ませる。
考えてみると若いころ私は上司にあれこれ質問をしすぎてよく叱られた。
上司から見るとそんなに焦らなくともそのうちわかるよといった感覚があったように思う。
給料をもらうためだけに仕事をしているのではないという意識が非常に強かったようだ。
今でも頭の中はあれこれ一杯の悩みごとが駆け巡っている。
何か少しでも仕事に役立つことはないか、何をどおすれば新しい可能性につながるのかなど、何を話しても何を見ても仕事に関係してしまう。
今月で72歳を迎えるけれど、気持ちの上では歳は意識していないがこういう話をしていることが大いに歳を気にしているということなのだろう。
新しいデニムとは何なのか。
新しい顧客へのアピールの方法は何なのか。
新しいネットビジネスのありかたは何なのか。
スタッフのやりがいはどこから生まれるのか。
考えることはきりがなく延々と続く。
貴重な経験を一杯してきたけれど、なぜかそれを伝えることがなかなかできない。
あまりにも時代が違いすぎるのか、それともそういう経験を聞くことに若い人たちはあまり興味がないのか・・・。
確かにそれらの経験に日付を付けると昭和という時代が多いかもしれないが、どんな時代であってもそこにある考え方ややり方の根本はほとんど変わらないと私は確信する。
何をどう使うかということだけではなく、やろうとする人たちのやる気や気力が十分に有るか無いかということが一番大事なことだろう。
目的のない船はただ浮かんでいるだけ。
進む原動力を持たなければこれもただ浮かんでいるだけ。
海の上ではその状態はっきり自覚できるけれど、日々の仕事の上ではなかなかその状況を認識することができない。
水の流れも、今やなだらかで広い状況の中ではただ緩やかに穏やかに流れていくだけなのか・・・。
関東地方では例年になく早い梅雨明けのようだが、この調子ではあっという間に秋に突入するのではないかと思う。
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