完璧・・とは

野球中継など見ていると、よく使われる表現に完璧という言葉がある。
完璧にボールを捉えてホームラン。
その雰囲気はよく伝わってくる。
完璧とは最もいい条件でボールを捉えたということだろう。
しかし完璧は続かない。
必ずしも次も同じように打てるとは限らない。
だから完璧とは、ある一瞬の出来事を指している。
完璧に打たなくてもホームランになればいいではないか。
それでいいと思う。
それでも人はなぜか完璧という言葉を使いたがる。
それはその道に徹していて、技術レベルの高さを当の本人も見ている人もよくわかっているんだということをどうもアピールしたいようだ。
次に上手くいかなかったときは果してどう言うのか。
完璧というのは何度やってもきっちり同じことが繰り返せる状態ではないのかと思う。
ということは完璧とはすごい表現であるが、そのほとんどはある瞬間に起きたたまたまの現象のことをいうようだ。
完璧に近い人の技術は、周りから見ていて最高に素晴らしいと我々が感じたとしても、彼らは決してこれは完璧だなどとは言わない。
ということは完璧でない人が使いたがる表現なのだろう。
完璧、絶対などほかの意見をはさむ余地のない言葉には、ほとんどの場合非常に危なっかしさがすぐそこに潜んでいるということだろう。
完璧も絶対も成長発展していく段階での一表現に過ぎない。
だからこの言葉を多用する人や状況はまだまだ成長の余地が多くありますよということだろうと思う。
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地方の時代に・・

何をやってもまずは東京。
2020年のオリンピックも結局東京。
東京が盛り上がることは確かだろう。
オリンピックに水を差すわけではないが、これで東京は終わりにしないといけない。
なぜなら、なんでも東京と言っている間は人間の知恵はどんどん狭くなっていく。
どんなことも条件の揃っているところでやれば簡単であり上手くいく。
当たり前である。
人間は上手くいかないことから様々な知恵が出てくるのであって、特に日本のように一旦決まったことはよほどのことがない限り変更しないのがよろしいという、変化を嫌う国民には新しいアイディアは出にくい。
世界ではどんどん新しい発想が発信されている時代に、過去のことばかりにこだわっていることは進歩、進化という感覚ではなく単に保守の心でしかない。
東京をこのままにしておいたのでは日本の未来はないとまで私は思っている。
失礼な考えかもしれないが、天皇が退位されるのであれば、この際京都御所にお戻りになればそれが一番いいと思う。                                                                もともと日本の天皇は京都におられたわけだから恐らく何の問題もないだろう。
そうすることで政治も経済も一挙とはいかないとしても間違いなく変化が起こってくる。
いくら表面の議論で地方創生などとお茶を濁しても事態は全く変化しない。
日本は非常に小さくて狭い国だから有効に利用しなければ、一極集中はほとんど何のメリットもない。                単に権力者の自己満足でしかない。
国民が日本特有の自然の恵みを享受しながらかつ文明の発達を利用できる状態こそバランスのいい国のあり方だと思う。
地方が頑張らなければならないのだが、そこに未来を見抜いたリーダーがいないことが日本の悲劇のような気がする。
そのうえ国は地方を金や制度の力でがんじがらめにしている。                                        だから地方がそれぞれ独立できるぐらいの独自の運営方法を考えなければならない。
本気で考えればきっといいアイディアが若い人たちからいくらでも出てくるように思う。
国にとって最も重要な食料も電力も地方であればいくらでも生産可能である。                             それを東京に集めるのではなく地方で有効に利用することから考えを進めればいろんな可能性が見えてくる。
そろそろ地方も国離れを真剣に考える時ではないだろうか・・・。
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今年のインブルーは・・

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さまざまな経験を重ねてきたインブルーもそれに伴い次第に中身が濃くなっていく。
当然のことだが思うようにことは運ばず、プレッシャーやストレスを感じながらそれでも日々頑張ってきた。
それらの経験は何一つ無駄ではなくこれからのインブルーにとって財産になっていく。
店の中にちょっとした気遣いの花を置いたりディスプレイに気を使ったり、決して大きな主張ではないけれどちょっと心が和むことに素直に気づいていく。
デニムスーツだけの店でありながら何かの可能性を感じてもらえるようにどうすればいいのかを常に考えることができれば会話にも優しさや楽しさが自然に現れてくる。
人は自分の好みや考えを何かのデーターで判断されることより微妙なニュアンスを伝えあうことに安心感を感じると思う。
スーツの採寸も長い短いだけでなく、長めにするとどんなふうに見えて、短めにするとこう見えるなどとあれこれ会話することが楽しい。
ただ単にお似合いですよというだけでは心が弾まない。
奥さんが惚れ直しますよ・・などと言えば和んでくる。
これはちょっとオヤジの会話になるけれど・・、若い人には若い人の楽しい会話の世界があるはず。
東京受注会を二月初めに控えあれこれ慌ただしくなってきたが、昨年、残念ながらスタッフが少なくなったこともあって不安もあるが、それぞれの思いが以前より増してしっかりしていれば十分お客に満足してもらえるはず。
今年最初のイベントなので全員で納得のいく成果を上げたい。                                        そしてその結果を自信にして今年一年飛躍していきたいものだ。
そして、新しいスタッフをできるだけ多く採用しながら幅広い能力の開発を積極的に進めていこう。
世間ではデジタル化の傾向が非常に強く大量の情報が降り注ぐ状態になっていくことは間違いないが、忘れてはならないのは時間は決してデジタルではなく人の心も同じでアナログである。
白と黒の間にあるグレーゾーンを意識することが重要になる。                                    デジタル化すればするほど実質的なアナログの世界が大切になる。
人の心は間違いなくデジタルではなくグレーゾーンを含むアナログで成り立っている。
そこのところをしっかり意識できれば心は通じやすくなる。
今年の課題として、決して文明の流れに抵抗するわけではないが、物と物の間の曖昧模糊とした、ふわふわした、実態のつかみにくい、それでいてなおかつ存在感のある部分を意識して仕事ができれば、何事においても必ず白黒つけるやり方よりは効果的な成果を上げられるのではないかと思う。
実際にはどういうやり方になるのかということになるが、それぞれが自分の存在そのものをしっかり眺めていれば次第に見えてくるように思う。
きっとこの一年はそれぞれの意識の変化が大きくなる年だろうと思う。
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2018年はどんな年?

2017年の様々な出来事、思い出を心に刻んで新しい年を迎えました。
今年もいろんなことが待ち受けていることと思う。
決していいことばかりではないだろうがそれを結果として良くするのも悪くするのも自分次第。
これまでの何とかなってきた時代と、これからの何とかしなければならない時代のちょうど転換点になるように思う。
これまでやってきたことをそれなりに踏襲していけばいい時代ではないことははっきりしている。
新しい世紀になると騒いでからすでに20年。
その間に世界はどう変わったのか・・。
我々だけでは何もできないけれど、どんどん複雑な世界になっていっていることは間違いないように思う。
ナッシュも新たな試練に直面していかざるを得ない。
世代が変わるとはよく言われるが30年を一区切りと考えると、これからの3年から5年が次の世代に交代していくいい時期だろうと思っている。
そう考えると、昨年は娘とその婿が会社を引き継いでいってくれると確信できた非常に幸運な年だった。
若い人たちの発想で次の時代の新しい流れを創ることが一番自然なことだと思う。
私の頑張った昭和の時代はもうすでに昔の時代であり、それから平成という変化の時代になり、また次の時代に変わろうとしている。
西暦では表せない日本の元号がそれぞれの時代をそれなりにうまく象徴している。
そんな中でも、最も大切なことは、いくら時代が変わろうが決してその変化に翻弄されない芯を持つことだと思う。
それがはっきりしていればどんな変化が襲ってきても十分に対応できると思う。
これまでの常識や価値観は大きく変わっていくだろうから、今現在の状況だけを意識していては残念ながら取り残されていくことになる。
新しい流れは果たしでどの方向に流れていくのか、我々の目指す方向はどの方向なのか、このことをこれからはしっかり考えていいかなければならないだろう。
これは小さな会社でも大きな会社でも共通していることで、大きければ大きいほどその方向確認と方向転換は非常に難しくなる。
我々のような小さな会社では様々な状況に翻弄されやすいが、それだけ状況確認と新たな方向を見つけることはそれほど難しくはないだろう。
戌年はどんな年なのかよくわからないが、しっかり考え真剣に事を運べばおのずと道は開けると思う。
ナッシュの経営理念の通り、干支が何であれ真剣さを失わず努力することで信頼関係の構築は計れると思う。
年男である私も改めて会社の在り方を思い起こしていきたい。
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いい歳をとる

人は誰でも同じように歳をとっていく。
若い間は歳の重みも変化もそれほど感じない。
ただ単に何歳になった・・・などというだけでさほど気にはしない。
50歳を過ぎるころから微妙に反応が変わる。
次第に変化を意識し始める。
それは頭・・・。
髪の毛が少なくなっていく。
それまではフサフサだった髪の毛の風通しがどんどん良くなる。
確かに今のような冬場になると暖かさがかなり違ってくる。
それにいろんなところに頭をぶつけたときの痛さがまったく違う。
残念ながら若いときに自分でイメージした雰囲気とは違う。
そこで考える。
そんなことより自然の流れをいかに楽しむかということを。
いつも行く散髪屋はいくら頑張っても30分あれば終わってしまう。
これは非常にありがたいことに違いない。
いつもの通りでいいですねと一応は聞かれるが、いつものやり方以外にはたぶんないと思う。
散髪が終わって自分の頭を一通り撫でまわして、正味の頭の形を実感できる。
それでもこれが歳をとることの証明みたいなものだから、なかなかいい感じになってきたなと勝手に納得している。
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信念

信念とはどんなものか・・・。
その人の生きていくうえでの指針になるものだろう。
良いとか悪いとか、価値があるとかないとかの判断は人によってさまざまである。
そのさまざまな中に一つのまとまった、変わりようのない考え方、指針があるとすればそれが信念ともいえよう。
しかしながら信念という言葉は単純であるが、その意味あいは大きな個人差がある。
よく似た考え方をしている人が私の周りにもいるように思うのだが、なぜかこの歳に至るまで考え方が近いと思えた人はほとんどいないように思う。
それだけ私の考え方が他の人たちと違っているということなのだろうか。
私自身は単純でかなり明快な考え方をしていると思っているが、どうもそうではないらしくかなりの頻度で、あの人はちょっと変わっていると言われる。
私は、私が変わっているのではなくあなたたちが変わっているのだろうと思っている。
全く同じ顔をした人がいないように、考え方もそれなりに違うのは当然なのだろう。
今年一年は、これほど信念とは何なのかを考えた年もなかったように思う。
特に政治家の信念のなさはひどいものだと感じた。
だれにどう言われようが自分の考えはこうなのだというものをしっかり持っているというより、周りの状況がはたしてどうなのかばかりに気を取られていて泰然自若とした安心感はほとんど感じられない。
信念とは自分自身の中にあるものであるが、周りの人たちにもそれが伝わるようでなければならない。
来年は戌年で私は年男である。
「インブルー」とは何かについて改めて考えを整理してみようと思っている。
それが周りのみんなに自然に伝わっていくようにならなければならないだろう。
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日本がおかしくなる・・・

前回の東京オリンピックの始まるころは、何が何でも前に向いて頑張ろうという雰囲気が強かったように思う。
しかし、それは我々もまだ中学生の時代で、世の中の仕組みも何もほとんど分からなかった。
それでも純粋に世の中がどんどん前に向いて動いているという実感があった。
あの素晴らしいオリンピックのポスターはみんなを引き付けるだけの力があった。
半世紀以上たって、また東京オリンピックがやってくる。
そのときと今では社会環境は大きく違う。
今ではオリンピックで何かが変わるという期待感はなく、ただ大きなイベントというぐらいにしか思えない。
社会の仕組みも大きく変わり、日本全体で何かをしなければという共通の目標を失い、ただ権力や名誉、そして金という非常に現実的打算的なことが卑近の目標になっている。
日本人は親切で優しくて正直な国民だというイメージが他の国にはあるようだが、どうもその時代はとっくに過ぎ去ってしまったのではないかと思う。
何かと人が小粒になってしまった現代においては一強と言われるような状況があちこちにでき、限られた人が権力を握ってしまう傾向が強くなっている。
常に控えめで堅実に周りのことを考えて行動するなどという表現は今や死語に近いのか。
今では日和見的で自分の損得に終始し、言い訳の多い人たちが中枢に集まってしまっている。
ごまかし、ねつ造、強圧行動、暴言、ハラスメントなど、どう考えても品格や厳格さを感じさせる行動、発言はほとんど見られなくなってしまった。
こういうことをしている間に世界の動きは日本に合わせてくれるわけではなく、どんどん新しいい方向へ動いている。
今や原子力発電は終わりを告げようとしているにもかかわらず、再稼働をどんどん進めている。
その上、石炭による火力発電所建設を海外に輸出しようとして脱炭素がテーマである世界から大きな非難を受けている。
それもこのプロゼクトは総理大臣自らがトップセールスをしている。
従来の石炭による火力発電に比べ15%も二酸化炭素の排出量を削減できるということがうたい文句らしい。
世界はほとんど再生可能エネルギーによる発電に移行しているというこの時期に・・・。
単に笑われるというより何を目指しているのかと疑われてしまっている。
国家予算も、いくらでも理由を付けで大きくしていき、財源が足りないところは増税で・・・とワンパターン化してしまって、人間の創意工夫する能力を全く発揮しようともしない。
無駄に使う補助金など止めればいいが省庁の都合ありきで延々続けている。
その結果、それをまことしやかな理由を付けて取り込み補助金成金まで出てくる始末だ。
メイドイン・ジャパンという表現も一つの呪文のように何かといえば一斉に唱えてはいるが、それを売りにするよりは本当にいいものを作っていくことが大事なはずなのだが、どうもそれがごまかしの入り口になってしまっている。
今のように絶対に安心できるという信用を得ていたはずの業界で品質のごまかしが普通に行われているということになってしまうと、今度はすべてがそういう目で見られるという危険性をはらんでいる。
そろそろ妙な御旗を利用するのではなく純粋に未来を見つめ人類の幸せを考える日本になってほしい。
そこには真摯さと真剣さが絶対に必要で、誰かが中途半端な権限を持って事に当たるという不幸な独裁的状況はなくしないといけない。
政界も財界も相撲界も・・・。
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人が逝く

ある日、人が逝ってしまう。
とても悲しいことであり、驚くことであり、心が痛むことである。
そのときが来たらどうしよう。
その先はどうなるどうすればいい。
残される人たちには不安ばかりが残る。
それでも、その人はとても安らかで、美しく、これほど穏やかな顔は見たことがないというほど幸せに満ちた顔をしていた。
死ぬことの恐怖は微塵にも感じさせない。
緩やかに静かに消えるように息することを止めて逝った。
九十九歳の生きざまは、一言で語れるような簡単なものではないが、その一つ一つが意味を持ち輝いていたのだと語りかけてくる。
たくさんの人の前に出ることなど想像だにせず、己の日々の世界の中で十二分に活躍してきたのだ。
人にはそれぞれの世界がある。
周りから見ればたわもない世界の中に、外からは見えない数え切れないほどの引き出しをもっていたのだろう。
これほど幸せな顔を見せられるともう何も言えない。
お母さん!                                                               あなたの素晴らしい九十九年を快く見送ります・・・・。
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ぎりぎりセーフ

今の社会の中では、何をやってもどこかにラインが引かれてあって、これ以上先はダメだとかこれ以下はダメだとか判断される。
試験を受ければ合格ラインがあり、勝負事には必ず勝ち負けがわずかの差でも判断される。
電車に乗ろうとすれば、発車時刻があって数秒の差でもドアは閉まってしまう。
われわれの子供のころは、バスも電車も車掌がいて少々の時間は待ってくれることがよくあった。
お金を忘れて買い物に行っても、近くの店であれば、いいよこの次でと言って商品を渡してくれる。
これはデジタルな今の時代と違うところで、いたるところにアナログ感そのものが漂っていた。
そんな線引きのはっきりした厳しい現代においても、要は引かれたラインの中であればセーフということである。
電車に10分前に乗ってる人と、10秒前に乗った人はいくらぎりぎりであっても同時刻に同じ目的地に着くことができる。
学校の入学試験でも、ぎりぎりで試験に受かれば、それからの努力次第で順位はいかようにでも変わってくる。
この線引きは、とりあえずこうしなければけじめがつかないということであるが、たまたま運のいい人も                           その逆にたまたま運が悪かったという人も一律に分けしてしまう。
常に上手く線の内側に入れる人と、なぜかわからないけれど外れてしまう人がいる。
私の人生はどう見ても、楽々セーフの世界ではなく常にぎりぎりのところでやってきたように思う。
それがわかっていながら、それならもう少し事前に努力をすればいいと思うがそれがなかなかできない。
よって常にぎりぎりのところをうろうろすることになる。
負け惜しみではないが、このぎりぎりというところにはさまざまな経験ができるメリットがある。
間に合うか間に合わないか、合格するかしないか・・・常にそういう不安にさらされているわけだから、もしダメな時は次にどうしようかというこを考える訓練ができる。
反対にいつも上手くいっている人は、それだけの努力をしているのだろうが、残念ながらその際のところの不安さや悔しさをほとんど経験しないことになり、ダメだったときの様々な対策ができにくくなるかもしれない。
必要以上に苦労することはもちろんないのだが、私の持論としては、人は失敗することや苦労することからしか学べないと思っている。
これからの混沌とした時代の中では、果たして何がどうなっていくのかはっきりとは見通せない。
それでもぎりぎりアウトにならないように、必ずどうにかセーフになるように常日頃から考えを巡らせ視野を広げていかなければならないと思う。
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変革期

私が本格的にテキスタイルの仕事を始めてからすでに36年が過ぎた。
36年といえば一世代である。
振り返ってみると、最初のころは単に生地のスワッチを並べて、いかがでしょうかという感じの商売だった。
その後、これでは得意先も判断のしようがないではないかということで、私は、次のシーズン用のカラーサンプルを独自に、ベーシック、カジュアル、トレンドと三通りぐらいに分けて作成した。
当時はまだ製品洗いが十分普及していなかったので、サンプル生地で筒縫いした洗い見本を作成して得意先に提案した。
今で考えればごく当たり前のことなのだが、その当時では非常に斬新なプレゼンテーションだった。
それが私のテキスタイルの商売への入り口だった。
それから新しい生地で独自のデザインによる製品サンプルを作成し、より具体的に判断しやすいプレゼンテーションをしていった。
それでも、それから40年近くたてば、ほとんどの状況は大きく様変わりした。
その過渡期では、それまでのやり方や価値観がどうしても捨てられず次のステップになかなか移行できない。                                                              いくらかの人たちが新しい流れを作ろうと画策するけれど、なかなかそれは強い流れに進展していかない。
今ではそれを取り巻くIT関係の環境が大きく変わって商品そのものより流通、販売のありようが大きく変わってしまった。
ここでまた改めてそれまでにない悩みが出現してくることになる。
次にやるべきことは一体何なのか・・・。
これまでのやり方をしっかり見直して改めて力をそこに投入しようと考える人。
いやこのままのやり方では取り残されてしまうだろうから何とか新しい何かを考え出さなければならないと悩む人。
それぞれに決して間違いではないと思う。
間違いではないところが悩ましいところで、5年10年先を明確に見渡すことはできない。
もしかすると価値観どころか仕組みそのものが根底から大きく変わってしまうかもしれない。
それでも我々は次世代に仕事を引き継いでいかなければならないということである。
30年40年の時間は確かにそれまでの流れを良くも悪くも大きく変えてしまう。
そうであるならば、今はまだよく見えないその流れに沿っていくことを考えるべきであろう。
そこに、われわれ流がどれだけ表現できるかというところだ。
大変といえば大変だがごく自然の流れだともいえる。
頑張っていればどうにかなってきた時代から、むやみやたらに頑張ってもどうにもならない時代になってきた。
そんな環境は、あれこれ考え悩んで次の流れを創り出すことに興味と意義を感じる若者が集まれば、むしろ反対に本当に楽しくなりそうである。
インブルースタッフブログに、スタッフ募集という記事が掲載されているが、船は確かに乗り込むものだが今やそれでは船は動かず、そこに乗り込む若者が自ら船そのものを動かす気概が必要になる。
覚悟さえすればこれからの時代はそれなりに面白く楽しめるのではないだろうか。
インブルー船をこれから動かせるのは新しいスタッフだろう・・・・🎶。
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