至福のとき・・・

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つい先日(7日)新しい孫が元気いっぱいでやってきた。
わが三女についに赤ちゃんを授かることができた。
この2、3年結婚できるかどうかで悩んでいたことが全く嘘のように、すでにこうして子供ができるに至った。
何事も過ぎてしまえば、何もなかったようにことは淡々と進んでいく。
これまでに三人の孫をこうして抱いてきたが、今回は特に感慨深い。
三女もこれで姉たちと同じ家族の世界を持つことができたということで本当に一安心。
誰に似ているかなどいつものような話で盛り上がるのだが、私としては男の子であるということもあるけれど元気で走り回る活発な子であればいいなと思っている。
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夏は暑い・・では済まない・・

7月生まれの私にとっては、夏は大好きな季節だった。
半パンとランニングシャツ一枚で過ごせる、いとも気楽な季節だ。
夏休みともなると朝早くから夕方までいかにして遊ぼうかと考えていた。
今考えると確かに夏の気温も今のように30度をはるかに超える温度ではなかったと思う。
恐らく30度を超えるか超えないかぐらいだったのではないか。
外に出るときに必ず水分を持たなければだめなどとは言われたことはない。
水を入れる水筒などほとんど使ったことはない。
ただ、帽子をかぶるのを忘れないようにとはいつも言われていた。
歳を取ったということもあるが、今の暑さは本当に半端ではないと感じる。
朝8時を過ぎるとすでに30度を超えていて外での作業は要注意である。
地球が年々温暖化していくということだが、それは冬も合わせて年間気温が上がっていくということなのだろうか。
それとも冬は必ずしも暖かくなるということではなく雪が一挙にまとめて降ることが起きるということなのだろうか。
いずれにしても夏の暑さは毎年厳しくなっていることは間違いないようだ。
人の命に係わる暑さであると連日テレビ、ラジオから注意喚起のアナウンスが流れる。
暑さの厳しいのは一旦外に出てしまうと逃げ場がなく対応のしようがないところだ。
冬であれば暖かくなるよう服をしっかり着こむことでどうにかカバーできるが、暑さにはどうしようもなく服もこれ以上はどうにもならない。
エアコンのある場所にいるぐらいしかできない。
夏は暑いのは当たり前だ・・で済ませる範囲の暑さであって欲しい。
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予期せぬできごと

予期せぬできごとと言うと、本当に不可抗力の場合もあるだろうが、そういうことはいつでもどこでも起こりうると考えておかなければならないことのようだ。
今回の水害やその前の大阪の地震など結果的には起こりうることなんだと考えざるを得ないが、どこか自分たちのところには起きないだろうという安易さもある。
安心感や人ごと感が強くて、何かあっても自分の周りにも起きるとはなかなか思えず、ついつい自分には関係ないだろうと区別してしまう。
特に今回のような出来事がわずか数日の間に起きてしまうと国の動きも同じような状態なのだろう。その反応はあまりにも遅すぎるし現場の実情認識にしても鈍感過ぎた。
本当にしっかりしたリーダーは不測の出来事が起きたときの動きに現れる。
一杯飲みながら歓談しているモードも瞬時に切り替えることができるかどうか。
実際には集中的な豪雨に長時間見舞われている状況を考えると何か分からないけれどこういう事態を引き起こすのではないかという予測はできたはず。
しかし残念ながら、こういう非常事態に対しての頭と体の反応があまりにも鈍すぎた。
そしてそれができないことの言い訳も多すぎた。
そうしている間に現場の中で機転を利かせて多くの人を救っている人たちもいる。
彼らは誰からも指示されたわけではなく、まさに現場の実情を見たときに今できること、すべきことを瞬時に判断している。
決して普段からその準備をしているわけではないが状況に反応することができた。
緊急を要する非常事態に思うように動かない組織は何のためにあるのか・・・。
危機管理とは何を指すのか・・・。
単なる組織や言葉だけなのか・・・。
狭い国でありながら情報の伝わりかたは何ともゆっくりしている。
だからと言って、何もトップが慌てて現場に行かなくとも状況把握の方法はあるはず。
むしろそういうときは、トップは定位置にいればいい。
いやそこにいなければならない。
そしてその指示によって敏速に動く部下を持たなければならない。
本来の、戦(非常時)において機能しなければならない組織のあり方さえ十分に理解されてないように思える。
危機管理とは国民の目を意識して機能させる?
そんなものではないでしょう・・・。
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デニムという魔物

世の中がこれほど進化している時代に、頑なに原点に近い状況を守り続けている素材はデニムをおいて他にないのではないか。
極端に言ってしまえば、デニムにストレッチ性が付加されたということぐらいが大きな変化で、それ以外はほとんど原形のままではないだろうか。
繊維全体としてはこの間、科学の世界として大きく進化してきた。
そんな中でとにかくデニムだけは、昔はこうだったという懐古的な要素が大きく残っている。
それだけではなく、むしろ昔を外しては話が通らない組み立て方になっている。
私も、もうかれこれ50年デニムと付き合ってきたわけだが、その間当事者としてデニムをあれこれいじっていたころはそれなりに新しい感覚のデニムを創ったぞ・・・ということで変化しているんだと思っていた。
どっぷりその世界に入るということは、それがすべてという意識が非常に強いためにどこかお宅化しているところもあって、周りで誰が何を言おうともデニムが一番なんだという気持ちが非常に強かった。
その思い込みは今考えると異常ともいえるかもしれない。
ファッションがいろんな形で市場を拡大していく中で、デニムはなぜか延々とその地位を守り通してきた。
これだけ何も変わらない単純な素材がその価値を守り続けることはまさに不思議な現象である。
考えてみると荒野の中で丈夫な作業服が必要だということからその価値が認められ、その後のビジネスに繋がってきた。
その流れがいまだにデニム、ジーンズのビジネスの基礎になっている。
なぜにこれほどまでに延々と過去がそのまま生き続けるのかと考えてみると、決してハイテクの世界ではなく、ましてやビッグビジネスでなければ作れないものでもない。                                ミシンさえ持っていれば、あるいはジーズに関する興味と知識さえ持っていれば非常に簡単にその世界に入り込めるという、ある種のハードルの低いB級グルメのような感覚世界なのだと思う。
そういっては失礼だが、私はジーンズは一、二本持っていればいいのではないかと常に思ってきた。
それほどこだわる必要もなく、よく言われる丈夫で長持ちであれば一応の役割は果たすのではないかと思う。
それでもこのインディゴという染料の色合いは確かに人にとって心地よい色であると思う。
穿くほどにそれなりの生きざまを代弁してくれるとともに、一緒に頑張ってきたぞという運命共同体的な感覚になるのも確かである。
いくら時代が進んでもなぜかデニム、ジーンズの世界が現状維持を続けようとしていることは、例えば形態記憶素材のように、このデニムでこのジーンズ(5ポケットスタイル)を作り続けることが形態として記憶されているのではないだろうか。
2~30年前から比べると世の中の状況は驚くほどの変化を遂げているが、その中でも連綿としてその魂を替えずに維持し続けていることに不思議でもあり驚きでもある特殊さを感じる。
時代がいくら変化しても色そのものは無くならず、インディゴブルーの持つ感覚は恐らくこれから先も受け継がれていくと思うが、それはこれまでのジーンズによってのみ受け継がれるのかといえば、アイディア次第でもっとたくさんの可能性が見えてくるように思う。
デニムスーツもその中の一つだと思う。
さあこれからどんどん新しいことを考えよう。
そしてこの先がどうなっていくのかを楽しみにしよう・・・。
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災害はいつ来る?

ある日から突然にとんでもないほどの雨が降り続いた。
一向にやまない雨。
どこにそんなに大量の雨が潜んでいるのか?
素人の頭ではどうしても延々と雨が降り続くことが不思議でならない。
確かに太平洋の水分を大量に吸い込んでそれが上空高くで冷やされて雨に変わる・・・。
その説明は分かるが、なぜにこれほどまでに大量になるのか。
そんなことを言ってみても仕方ない。
現実に何日もそれが帯状に同じ場所に降り続いて広い範囲に莫大な被害を与えてしまった。
水が無ければ人は生きていけない。
いやすべての生き物にとって水は必要である。
だからと言って今回の雨は恵の雨とは言い難く大きな爪痕を残すことになった。
何事も程々ということがいいのだろうが、程々にうまくバランスをとることは最も難しいことなのかもしれない。
備えあれば憂いなしとは言うけれど、雨が降れば雨の備え、地震が来れば地震への備え・・。
それにも準備できる範囲がある。
言うは易く行うは難し。
予期せぬことが予期せぬときに起きる。
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あれこれ言ってる間にもう7月

私の干支である戌年だと喜んでいる間に、はや半年を過ぎ最も昼の時間が長い夏至も通り過ぎてしまった。
あれこれやらなければならないことが一杯ありながら、その実践は反対になかなか進まない。
それでも時間だけはとどまることなく日々刻々と過ぎていく。
若い人には様々なことを経験する時間が必要だろう。
だが私にはこれまでの経験をいかに有効に伝えていくかということに頭を悩ませる。
考えてみると若いころ私は上司にあれこれ質問をしすぎてよく叱られた。
上司から見るとそんなに焦らなくともそのうちわかるよといった感覚があったように思う。
給料をもらうためだけに仕事をしているのではないという意識が非常に強かったようだ。
今でも頭の中はあれこれ一杯の悩みごとが駆け巡っている。
何か少しでも仕事に役立つことはないか、何をどおすれば新しい可能性につながるのかなど、何を話しても何を見ても仕事に関係してしまう。
今月で72歳を迎えるけれど、気持ちの上では歳は意識していないがこういう話をしていることが大いに歳を気にしているということなのだろう。
新しいデニムとは何なのか。
新しい顧客へのアピールの方法は何なのか。
新しいネットビジネスのありかたは何なのか。
スタッフのやりがいはどこから生まれるのか。
考えることはきりがなく延々と続く。
貴重な経験を一杯してきたけれど、なぜかそれを伝えることがなかなかできない。
あまりにも時代が違いすぎるのか、それともそういう経験を聞くことに若い人たちはあまり興味がないのか・・・。
確かにそれらの経験に日付を付けると昭和という時代が多いかもしれないが、どんな時代であってもそこにある考え方ややり方の根本はほとんど変わらないと私は確信する。
何をどう使うかということだけではなく、やろうとする人たちのやる気や気力が十分に有るか無いかということが一番大事なことだろう。
目的のない船はただ浮かんでいるだけ。
進む原動力を持たなければこれもただ浮かんでいるだけ。
海の上ではその状態はっきり自覚できるけれど、日々の仕事の上ではなかなかその状況を認識することができない。
水の流れも、今やなだらかで広い状況の中ではただ緩やかに穏やかに流れていくだけなのか・・・。
関東地方では例年になく早い梅雨明けのようだが、この調子ではあっという間に秋に突入するのではないかと思う。
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潔さ

何事においても、潔さというのは人間にとって大切な要素だと思う。
ところが最近の日本において、トップにいる人たちの潔さというものがほとんど失われてしまったようだ。
何かにつけ言い逃れや詭弁を弄することがあまりにも多い。
いつぞやは相撲界においても横綱が勝負判定にクレームを付けた。
トップたる者が自分の負けを真摯に認めることをせず、審判(行司)に不満を示すなど、そこにはまったく横綱としての潔さは感じられない。
スポーツ界は潔さを基本にしていると思っていたが、様々な問題を積極的に起こしたり権力で押し切ろうとしたり、どこにも本来の潔さは見当たらない。
もしかするとアマチュアスポーツにおいても同様の現象が起きる可能性を感じる。
これらはなぜ起こるのか。
答えは簡単。
日本で一番権限を持つ立場の人があまりにも姑息な論法を使いすぎるということ。
どんな組織でもトップが清廉潔白で潔さを持ち合わせていたら状況はいくらでも改善できる。
誰しもトップの行動をよく見てるし判断の基準にする。
あれでいいんだったら私もそれでいこうと考えることは残念であるが大いにありうる。
トップが率先して範を示さなければ、口先で問題を徹底的に解明するなどという言葉を何度繰り返しても、己の立場の擁護のための権限や無言の圧力をかけることが常套手段として使われるようになっていては、範を示すことなど到底できないだろう。
もう日本には潔さは存在しないのではないかと思う。
権限を持つとなぜこれほどまでに人は正義も潔さも失ってしまうのか。
誰が範を示してけじめをつけるのか。
改ざん、ねつ造、口裏合わせがごく普通に行われ、無言の忖度がいとも簡単になされるに至ってはどうしようもない。
それらは我々をとことん失望させる。
そして最も悪いのは権限を振りかざし圧力をごく普通にかけてしまう。
本来、最も使ってはならないこれらの事柄をいかにうまく使うかがトップに立つ人間の力量ということになっている。
本来の筋道が幾重にも捻じれている。
だから、何が正しいのか、何をしなければならないのか、何が冷静でかつ正しいやり方なのか誰もわからなくなる。
そのうえ、何かあれば第三者委員会を設けてという常套句が出る。
第三者とは当事者とは縁もゆかりもない正味の第三者でなければ意味がないのだが、力関係や金銭関係が微妙につながっている場合がほとんどである。
今では何が正しいことなのかを心を正して主張できる人がいなくなるのではないかと思う。
マスメディアもそれぞれの最も大切な一般大衆の立場を守るというスタンスに欠けていて、特にワイドショーなど評論家なのか単にコメンテイターなのかわからないだけでなく、検事や、探偵や、弁護士が、またそれらしい分析を素人タレントが軽々しくしかし堂々と主張する。
そしてまたネット上ではありとあらゆる意見、中傷が飛び交ってしまう。
もうこうなっては何が何だかわからない。
文明の利器も使い方を誤れば世の中を大いに混乱させるだけの道具になってしまう。
これらの混乱はトップの姿勢次第で大いに違った状況になるはず。
真摯な心、真摯な態度で潔さを基本に持って事に当たることが、これこそ人の信頼を得られる唯一の正しい方法だと私は思う。
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満願成就

娘の結婚を願って、二年がかりで四国霊場八十八ヶ所巡りを終え、しばらく間が空いたが今回やっと高野山へ満願成就のお参りをすますことができた。
金剛峯寺を経て奥の院でやっと納経帳へ墨書きと御朱印を頂く。
もうすでにそのご利益は子供を授かるに至っている。
8月の誕生予定ではあるが、事がうまくいってしまうとすべてが簡単だったような錯覚に陥る。
しかし、振り返ってみるとなかなか大変で、結婚というのは人によればいとも簡単に決まってしまうようだが、わが三女に関してはしっかり我々に神頼みしなければならない状況を作ってくれた。
経過はどうであれ結果としてうまくいけばこれはめでたしということだろう。
車で4時間以上かけて、なぜかここで道に迷いながらもなんとかたどり着いた。
お参りを済ませて、折角なのでその日は家内の希望で大阪のホテルに一泊。
これには彼女の狙いがあって大阪で買い物をしたかったわけだが、結果としては希望の商品がなく期待が外れてしまった。
それでも翌日ホテルでのんびりしながらも改めて目的変更で素晴らしい服を手に入れることができ彼女は大喜び。
こんなわけで一応のけじめをつけることができた一安心の旅であった。
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出る杭は打たれる?

あまり出しゃばることなく程々にすることがよろしい・・・。
あれこれ主張したり新しいことに興味を持ちすぎたりすることは周りに波風を立てることになり、様々な攻撃を受けることになる。
これをただ単に出しゃばるということと考えるとそれはいいことではないだろう。
しかしながら新しいことはそれだけで普段の常態に対して何らかの波風を立てることになる。
みんなが横並び状態でありながらことがうまく運ぶということは非常に希である。
見た目とか波風立てないという意味では安心できる形だろう。
そしてそれは、周りの状況だけ確認していればいいわけだから居心地は決して悪くはない。
ところが残念ながらこれでは一向に進歩発展は望めない。
去年買った服がもう小さくなって着られない。
それぐらい子供の成長は早い。
親はそれを見ながらブツブツ言うかもしれないが、自分の子供がどんどん成長することは嬉しいに決まっている。
確かに波風立つだろうが出る杭は多いほどよろしい。
飼い犬のようにお預けといえばいつまでもじっと待っているようでは会社は進歩発展していかない。
社長が指示すれば、組織として決めればいつまでもそれを守り続ける。
一見いい社員のように思えるかもしれないがそんなことは決して褒められたことではない。
日々、世の中は変化している。
昨日言ったことも今日は変えなければならないかもしれない。
そんなときに指示通りにしか行動できないというのはむしろ厳しいかもしれないが前に進むためには邪魔になるだけかもしれない。
ときには上手くいかないときもある。                                         うまくいくことの方が難しい。
であるならば、しっかり考えしっかり実践してみることが、じっとして頭の中だけで考えているよりも周りの状況はよく見えてくるだろうし、周りの人からの協力も得られやすくなる。
いずれにしても前に出れば、上に上がればそれだけ状況がよく見えるということには間違いない。
だからどんどん出る杭のごとく中身をしっかり充実させながら進むことが最もそれぞれの存在をアピールでき、それが最も会社にとっては魅力的なことだと意識すべきだろう。
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トップの責任

どんな組織でもそれを動かすリーダーがいなければ十分に機能しない。
国であれ会社であれ学校であれ組織を構成する以上は必ずその組織にはトップが存在する。
昨今の世界中の問題には、その組織を動かすリーダの意識が問題を引き起こす大きな要因になっている。
日本においても大方の問題の根幹にはリーダの意識が大きく影響していることは明らかである。
単純に、リーダーが清廉潔白で誰が見ても不正なところがなければ何の問題も起こりにくい。
問題が起きたとしても、その原因を自ら明確にして即座にそれを改めればことはそれで収まる。
人間は常に過ちを犯す。
それはどんな聖人君子であったとしてもときの流れの中では方向を誤ることは起こりうる。
残念ながら問題が延々と解決せず、どんどん見えにくくなっていくのは、誰のせいでもなくトップにいるリーダーの姿勢そのものによる。
トップはその組織における最高の権限を持つわけで、その権限をどの方向に向けて使うかによって状況は単純にもなり迷路に入ってしまうことにもなる。
その組織のトップに単純明快さが欠けているようであれば、それを明確にして部下たちが補っていけばいいのだが、どうしてもその潔さに欠けていることが多く、言い訳が言い訳を呼び何が何だか分からなくなってしまう。
部下たちも何をどうすればいいのか迷ってしまう。
結局権限が権力となりその強さが物を言うことになってしまう。
そこには正義も民主もなく権力者の存在だけが組織全体の上に覆いかぶさることになる。
結局、誰も身動きできなくなる。
そのうえ裏表を巧妙に使い分け、あるときは話は聞きますと言い、あるときは人の発言を遮ってしまう。
これが最もよくない権力構造であり組織の在り方である。
どうして日本がこういう不明確で権力志向の国になったのか。
これは恐らく責任と権限の使い方を誤ったということだろう。
責任を果たす意識が大きく欠けてしまい、それを権限ではなくより強い権力で隠してしまう、あるいは詭弁を弄して筋道の流れを変えてしまおうと力で押し切ろうとする。
権力を持った人間にしかわからない独特の世界に浸ってしまうともうそこから抜け出せない。
トップは常に潔く、足元だけに目を向けるのではなく、組織の進むべき未来に目を向け心から明快な夢を語らなければならない。
組織に属する人はその行いを見て自分たちのあるべき姿を意識することができる。

 

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