今思うこと

人には、100人いれば100通りの人生がある。
いかに生きて、いかに終わるかということは考えれば非常に難しい問題である。
私もこの歳になると様々なことを人並みに考える。
未来に向かって突き進むだけの体力気力はいくら粋がってみても強くはならない。
ゴルフのドライバーの飛距離も思いのほか落ちてくる。
話の中での説得力も実践力が落ちるだけ弱くなってくる。
誰しもが感じる人生のある時期である。
日々新しい何かが発明・発見・開発され、世の中が秒単位で変化し続けている現代において、テレビも電話も洗濯機もない時代を経験したことが、遠い遠い昔の話でありながら妙に懐かしく思えてくる。
新しい文明に後れずついていくことは、ある時期からかなり大変なことになってくる。
電話が携帯電話になりスマートフォンになりもっと複雑な情報伝達手段になってくると、恐らく何が何やら分からなくなる人たちはかなり多いと思う。
最先端を走らなければ世の中の流れに遅れを取ってしまうと思っても、それはもう我々の世代ではコントロールすることは難しい。
そのあたりが世代交代のタイミングなのだろうとは思う。
こんなことを考えながら我々世代のこれからを考えてみると、改めて、何もなかった時代の楽しみ方をもう一度再現することも面白いのではないかと思う。
かといって、本当に何もない昔ながらの情況での生活など、言ってみるだけでそう簡単にはできないだろうが、とにかく前に前に進まなければ現状が維持できない生活から、何も焦って前に進まなくてもその日を楽しく過ごすことはできるだろう。
自分の経験が生かされようが無駄になろうが、もうあれこれ焦ることもなく日々をあるがままに生きていく。
今の日本はあまりにもあれこれ苛立っていて、どこにものんびりゆっくり落ち着くことができる環境がない。
なんでこういう落ち着きのない日本になってきたのだろう。
誰もが東京へ東京へと集まっていく。
テレビでは、どれも同じ番組を延々流していて、同じタレントが同じ表情でもっともらしい発言をびっくり顔でアピールする。
人が知らないであろうことをあちこちから探しまわって、いかにも価値ある情報番組のごとく仕立て上げる。
何とかしなければ日本も危ない。
同じ人間が同じ意見をどこでどんなに言おうが、どこまでが本心なのか本気なのかさえ確信が持てない。
ただ、受けを狙ているとしか感じられない。
だれもが、ただただ東京に行くことが価値があると考えることにはほとんど意味はない。
人は一人になったときに一番その価値が問われる。
群れて勢いでできることは結局は大したことにはならない。
その象徴が東京である。
東京が今の東京である限り、日本はおそらく将来において何も変わらないだろう。
狭い日本をより狭くしているのは東京である。
東京にすべての機能が集中する限りその現象はより顕著になっていく。
そしてついにはそれが最大の弱点となって国は機能を失う。
もっと地方の価値を高めなければならない。
それこそがこれからの世代の人たちに課せられた大きな課題であり、そこから次の時代に存在感を大いに高められる可能性のある道が見えてくるはずである。
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2019年は・・・

新年明けましておめでとうございます。
特別何かが変わるということではないけれど、2018年が2019年に変わるということだから新しい年の始まりということだ。
今年は元旦早々に東京に行った。
例年、娘たち家族が帰省するので家にいて一緒に年末年始を過ごすということなのだが、今年に限っては我々夫婦が東京に出ていくことになった。
三人娘の家族の事情もそれぞれ変化してきたので、正月の過ごし方も微妙に変わっていくのは仕方ない。
それに今年は家内がどうしても平成天皇の最後の新年の参賀に参列したいという希望もあった。
平成も31年までとなり、あとわずかで終わることになった。
振り返ってみると、平成3年にスタートした私の会社もちょうど平成の時代に乗ってやってきたわけで、何かしら感慨深いところがある。
新しい元号が新しい天皇のもとでスタートするわけだが、我々もこの流れの中で新しい会社のいき方を考えていかなければならない。
おそらく今現在で我々が考えている以上に次の時代の流れは変化に富む流れになると思われる。
うまくいくかそうでないかは次の時代の日本を引っ張っていくリーダーの資質にかかっている。
これまでは、よくわからない勢いだけでやってきた感が強く、未来に対する明確なビジョンを感じることはできなかった。
どうも世界のリーダーたちにも客観的な広い世界観をアピールするだけの余裕がなく自分の足元に意識が行き過ぎたようである。
この状態が長く続くことは決していいことではない。
日本も借金だけが増え、夢や希望がしだいに失われていくような国になれば、日本国民にとって決して住み心地がいい国とは言えなくなる。
これから先の何十年かは、これまであまり意識されてこなかった国民の本来の幸せとは何かということがしっかり議論されるようになっていかなければならない。
会社の在り方も売り上げや規模を追求するだけではなく、小さくとも存在感のある会社、スタッフにとって魅力のある会社を目指すことも大切なことだと思う。
そのためには単純で明快なしっかりしたコンセプトを常に意識しておかなければならない。
おそらく昭和の終わりからの負の部分を十分に整理し将来像を明確にしてきっちりと対応してこなかったことで、より大きくなった負の部分をどう解決するのかの明確な方策がない限り、借金は借金を呼んでいずれは身動きが取れない状況に陥ることは想像に難くない。
それは国でも会社でも全く同じことである。
今年の干支の猪の突進力は確かに大きいだろうが、万一方向を誤ると取り返しがつかなくなる危険性を含んでもいる。
それを十分に理解したうえで、誰にも負けない明快な企業コンセプトを持ち、慌てず下がらず日々努力し、インブルー・デニムスーツの存在感を前進させることで我々の進む道はよりしっかり見えてくると確信している。
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捕鯨

子供のころの教科書には捕鯨に関する説明が必ず載っていた。
捕鯨船団を組み、母船とキャッチャーボートが南の荒海でも活躍しているという説明があった。
当時は確かに学校給食でも、肉といえば鯨の肉であり牛肉などありえなかった。
私の家庭でも鯨肉がほとんどで、カレーライスにも鯨肉が入っていた。
決して嫌いではなく今でもその味は覚えている。
魚屋が豆腐のような四角い塊で売りに来ていた。
だからといって今さら鯨肉をどうぞといわれても躊躇する。
時代の流れを見れば、今や様々な蛋白質源が市場にあふれていて、そんなに無理することはないですよと言いたい。
昔を懐かしむ程度なら今のままでもいいのではないかと思うが、日本政府としてはどうしても捕鯨に力を入れたいらしい。
地球上の様々な食料資源は、そこで人間が暮らしていく以上、何らかの変化が起こり続けていく。
それでも新しい食料の栽培方法や養殖方法がどんどん開発されていることから考えれば、世界の国々と改めて摩擦を起こす必要はないのではないか。
それに、経費をもっと有効に使う方が一般の国民にも意義があるように思う。
一般国民に理解しがたいことになぜか意地になることがあるようだ。
果たして誰が納得して、誰が喜ぶのだろうか・・・。
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失敗から学ぶ

失敗学という学問があるように人は必ず失敗する。
そのとき、失敗した人がどうやって再び立ち上がるか、またその始末をどうするのかによって、すでにその先の在り方がほぼ決まる。
極端には、その対応を見ているだけで、ほとんどその人の内容がつかめると言える。
折角失敗による大きなチャンスを得ているにもかかわらず、普通の人はなぜか失敗した状況を十分に振り返ることもせず、ただひたすら言い訳や失敗の不可抗力さを主張することに意識が行ってしまう。
失敗は成功へのまたとないチャンスである。
何をやってもうまくいくことが誰しも求めることなのだろうが、どんなにうまくやろうとしてもどこかで必ず失敗はやってくる。
それは竹の節のように、ある一定の期間でやってくる。
やってくることが分かっているから人はある程度対応できるしそこから学ぶこともできる。
失敗なしで進むことは、そのこと自身が大きな失敗であると言える。
知識は実際に経験することによって身につくのであって、本を読むだけ、話を聞くだけではほとんど効果はない。
仕事においても同じ失敗を何度となく繰り返す人がいるが、こういう人たちの言い分は、以前の失敗と今回の失敗は状況も内容も違うから仕方ないという言い訳をする。
口に出して言わないにしても心の中では間違いなくそう思っている。
実は、これが残念ながらその人の進歩を著しく阻害している。
どんな失敗も決して人のせいではなくすべてその人の責任である。
事故とは違う。
成功話をいくら聞いて、それらをいかに繋ぎ合わせてもそれでことを進めれば、その先にあるのは脱出しがたいほどの大きな失敗である。
失敗はいくらしてもかまわないが、そのたびに必ず周りの人たちに迷惑をかける。
その、人に迷惑をかけることの申し訳なさをひしひしと身に感じていれば、次第に失敗の量も減ってくるはず。
そして、同じ失敗を平気ですることのふがいなさも感じるだろう。
気が付けば数多くの失敗がその人を注意深くさせるだろうし、事前に様々な状況を想定した準備ができるようになる。
私も様々な失敗から多くの事を学んだと思っている。
失敗なくしては成功にたどり着けない。
失敗のない成功というものはもとより存在しないとまで言えよう。
同じ失敗、同じ言い訳は、そのたびにその人自身が寂しくなるだろうし、成果は足踏みどころか後退であることを十分に知らなければならない。
いくらその人が周りからどう言われようが辛抱できるなどと強がってみても、それだけでもすでに周りの人に大きな迷惑をかけていることに気付かなければならない。
こうして、日々様々なできごとや失敗を経験することで、人の適応能力は大きくなり瞬時の判断力も培われる。
決して失敗を奨励するわけではないが、取り返しのつかない失敗をしないためにも、そのときに真摯に反省と検証を欠かさないようにしなければならない。
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目先の利益

ノーベル賞医学生理学賞を受賞した本庶佑京都大学特別教授。
本当におめでとうございます。
非常に誇らしいことではあるが、日本の問題点も見えてくる。
これまで日本の学者のノーベル賞受賞者が口をそろえて苦言を呈する課題として、基礎研究に対する国の対応がある。研究環境としては先進国の中でも決して良くはない。
日本の現在を象徴する状況だと思うが30年も50年もかかる基礎研究に国の予算を投入できないということ。
目先の実績に繋がる研究をすることが効果的ではあるだろうが、この長期にわたる我慢強い研究があってこそ人類にとって意義ある技術は進歩する。
民間の企業では資金の有効な利用は経営上必要なことではあるが、繰り返し繰り返し実験、検証を行う研究では短時間でその答えをいい形で出すことは至難の業である。
その難しさと時間を必要とすることから人材の定着や熱意の継続が非常に困難になる。
それがときとしてデーターのねつ造などに繋がってしまう。
こんな状況から次第に日本の基礎研究は成果を上げることが難しくなっていくようだ。
将来を見通すことはそう簡単なことではなく、ましてやそれぞれの研究が必ずそれなりの成果を上げられるかどうかは誰にもよくは分からない。
その他の業界においても辛抱強く物作りを継続していくことは難しく、商品が売れなければ本当に短期間で中止、撤退を余儀なくされる。
我々のファッション業界なども決して辛抱強く売ろうなど言っている時間はないようだ。
そのシーズンに商品を販売して売れなければシーズンが終わる以前にバーゲン処理されてしまう。
そこにはデザイナーの企画ポリシーや販売ポリシーは殆どなく、短期間での販売成果によって良しあしが判断される。
昭和の1時間は今ではほんの1分の感覚かもしれない。
20年30年いや1年が辛抱できないのかもしれない。
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今年もあとわずか

毎年この時期になると残りわずかになった一年を振り返るけれど、年々一年が短く感じられるような気がする。
今年は自然災害を含め、様々なできごとがあまりにも多すぎたからかもしれない。
その上、世界の国々がどうも内向きの姿勢を取ることでよりゴチャゴチャ感が強いのだと思う。
来年になるとよりそれらの問題が混乱を引き起こすようになると思う。
新天皇即位で元号が変わり、オリンピック関連や増税関連の作業対応がより混雑を極め何が何やら分からなくなりそう。
そんな状態ではどさくさ紛れ状態で訳の分からない事態があちこちに起きるのではないか。
今の日本の状況を考えると新元号のもとで、一年目は混乱のスタートになってしまいそうだ。
こういう混乱した状態ではどうしても末端の現実が無視されがちになる。
住みよい日本、安全安心の日本であり得るのか。
今年は国民の前でどれだけの人たちが謝罪し反省の言葉を口にしたことか・・・。
これまでの平和日本の中で注意深さよりも安易さや慢心する心が広がっているように感じる。
おもてなしなどという言葉をわざわざ口に出してて言うことにどこか疑問を感じてしまう。
真摯に丁寧に話を聞きしっかりした対応をしていきますという言葉の重みもなくなっているのではないか・・・。
来年は一つひとつに誠意をもって対応してほしいものだ。
当然私もナッシュ、インブルーの責任者としてその心を忘れないようにしなければならないと思う。
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デニムスーツとスニーカー

デニムスーツのイメージは果してどうなんだろうか。
ごく普通にジーンズのスーツスタイルを想像する人が多いのではないか。
われわれは日々デニムスーツと暮らしているから、デニムスーツとはこれですよと認識しているが、商品を見ていない人からは仮にいくらネット上の写真を見ても実際のスーツをなかなかイメージしにくいと思う。
聞くと見るでは大違いであるし、見るのと着るのでも大違いである。
そんな新しい感覚のデニムスーツもスタートして10年を過ぎるといくらかは知名度も上がってくる。
それを期待して日々頑張っているけれど最近では若いお客が次第に増えつつある。
これからは、デニムスーツをスーツ然として着る着方以外にももっと楽しい着方があることアピールしなければならないと思う。
チェックのデニムジャケットに無地のデニムトラウザー、そして軽やかなスニーカーでコーディネイト。
スーツにはネクタイというイメージがくっついてくるけれど、デニムスーツに関してはもっと自由で新しい着方があっていいと思う。
シャツは個人の慣性で様々な素材、色、柄を選んでいいと思うけれど、インブルーとしてはこれもほとんどどこにもない濃色100番双糸スーピマ綿のボタンダウンのシャツを勧めたい。
これからの商品企画として濃色デニムに楽しくなるようなちょっと派手目のストライプ柄を企画していきたい。
こうなれば様々なおしゃれスニーカーがなおさら若く軽やかにマッチする。
団塊の世代をはじめとして仕事の第一線から退いたおしゃれ感覚を持つ紳士たち、そしてオシャレにもう一度挑戦したいと内心思っているおじさんたちに、デニムの持つ気楽さと実際に着やすいスーツ&ジャケットを若く軽快に見えるスニーカーとともに楽しんでいただきたい。
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偉そうにしても・・

われわれの若いころの電話は、まず受話器を取ってそれから電話機にあるダイヤルに指を入れて相手の番号を一つひとつ回していく。
機械が作動しているという実感が伝わってきた。
ところが今ではそういう動作は無くなり、ダイヤルは番号ボタンに変わりそしてパネルにタッチするだけになった。
そしてまた、何もしなくてもあいての名前を言えば自動的に相手を呼びだしてくれる。
驚くほどの変化が昭和から平成の時代で起きた。
特にこの平成の時代の変化は非常に大きい。
次の時代の元号はどうなるのかわからないが、恐らくもっと変化は激しくなるだろう。
今や日本の中でも戦後世代でさえこの時代の流れには十分にはついていけない。
どこかの大臣が訳の分からないトンチンカンな答弁をしていたが、インターネットの知識やコンピューター機能の知識など残念ながら正味のところほとんど何も分かっていないだろう。
どう頑張っても、分かった振りをすることが精一杯だろう。
これからの政治もとにかく若い人たちが中心にならなければならない。
日々新しい情報や文明が進歩し続けていることを考えれば、今の年寄り連中では、突き詰めてみればとにかくみなさん頑張ってくださいとしか言えないのではないか。
いくら強がって知ったか振りをしてみても恐らく数分後には世界の違いを思い知らされることになる。
これからの時代はどんどん変化が加速し、訳の分からない人たちがその先頭に立って自分たちのペースで歩を進めていては推進力が発揮できず結局は世界で取り残されることにもなりかねない。
国を責任をもって動かす人たちは当然その資格として、少なくとも英語はネイティブに近い話ができることと、インターネットその他自分でそこそこにコントロールできることを条件にすべきだろう。
すでにそういう時代に突入しているのだから、常に「あったらいいね」「そうなったらいいね」などとのんきなことを言っている場合ではありません。
政治家も、どこの大学を出たから何回当選したから要職に付けるだろうなどと、これまでの常識らしい考え方はこの際きっぱり脱ぎ捨てて、改めてこれからの時代には何が必要なのかをもっと真剣に自問自答すべきだろう。
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理論と実践

理論と実践はどちらも紙の裏表のように意味合いは全く異なるけれど必ずくっついている。
物事は理論だけでも成立せず、かといって実践あるのみということもあり得ない。
どちらが優先するかということも一概には決められない。
世の中よく想定外という言葉を聞くが、これは理論が現実に追いつかない状態のことであり、地図も持たずに大体のイメージで山に登れば、どこにたどり着くやら分からない。
理論は決して現実ではなく頭の中で繰り返される一つの考え方である。
現実に起こるでろうことを論じてはいるが決して現実そのものではない。
事実は小説より奇なりとも言われるが、いくら推考を重ねてみても現実はその理論の世界とは異なったことが起きる。
どちらも非常に重要なことであるが、人は残念ながらどちらかに偏りやすい。
俗にいう頭でっかちとか饒舌とか言われる人たちはおおむね理論に偏っている。
その昔は不言実行ということが良しとされていた。あれこれ理屈を並べ立てるよりしっかりした結果を出していくことがいいことだと言われた。
それは結局のところ理屈ではなにも生まれない。あれこれ悩みながらでも実行することでそれに見合う結果が出てくる。そのことが人を説得することに繋がり信頼を得ることに繋がる。
プロ野球の選手が来年はホームラン30本、3割打ちますといくら宣言しても1年後にしっかりした結果を出さなければ評価はダウンする。
理論は物事を行う前であり、実践は結果である。
かといって、いくらやる気満々でも実践計画やシュミレーションが詳しくなされてなく、とにかくやってみなければ分からないと言ってがむしゃらにやることはいいこととは言えない。
実践による経験が多くなれば多いほど、次にやろうとすることの成功確率は高くなる。
現代では、どうしても理論武装したがる傾向が強く、政治家(大臣)も官僚たちの理論をベースに単なる答弁を繰り返すことでことを進めたがる。それによって現実にそぐわない法案がしばしば成立する。
実践とは自らやってみて経験を増やすことであり現場に行くことである。
しかしながら実践経験はその人個人の経験でありそれらを他の人と共有することは非常に難しく、結局は理論に置き換えなければ伝えることができない。
いくら実践者の経験を聞いてもそれをただ理論として聞いていてはほとんどの場合その他の単なる理論と何ら変わらない。
百聞は一見にしかずというけれど、百見しても実践しなければ理論で終わり実践力として身につくことはない。
理論に基づいた実践、実践に基づいた理論。
これが最も信頼を得られる正味の力となる。
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今朝5時過ぎに起きた。
部屋を出るとぼんやりと明るい。
実際にはまだ朝日は昇らない。
この数日間、朝起きると電気の消し忘れかと思うほど明るい。
我が家のテラスに明るい月光が差す。
今朝は少々薄雲がかかっているようで月の輪郭が滲んでいる。
こういう状況を眺めていると少々情緒的にもなるがちょっと寒い。
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