失敗から学ぶ

失敗学という学問があるように人は必ず失敗する。
そのとき、失敗した人がどうやって再び立ち上がるか、またその始末をどうするのかによって、すでにその先の在り方がほぼ決まる。
極端には、その対応を見ているだけで、ほとんどその人の内容がつかめると言える。
折角失敗による大きなチャンスを得ているにもかかわらず、普通の人はなぜか失敗した状況を十分に振り返ることもせず、ただひたすら言い訳や失敗の不可抗力さを主張することに意識が行ってしまう。
失敗は成功へのまたとないチャンスである。
何をやってもうまくいくことが誰しも求めることなのだろうが、どんなにうまくやろうとしてもどこかで必ず失敗はやってくる。
それは竹の節のように、ある一定の期間でやってくる。
やってくることが分かっているから人はある程度対応できるしそこから学ぶこともできる。
失敗なしで進むことは、そのこと自身が大きな失敗であると言える。
知識は実際に経験することによって身につくのであって、本を読むだけ、話を聞くだけではほとんど効果はない。
仕事においても同じ失敗を何度となく繰り返す人がいるが、こういう人たちの言い分は、以前の失敗と今回の失敗は状況も内容も違うから仕方ないという言い訳をする。
口に出して言わないにしても心の中では間違いなくそう思っている。
実は、これが残念ながらその人の進歩を著しく阻害している。
どんな失敗も決して人のせいではなくすべてその人の責任である。
事故とは違う。
成功話をいくら聞いて、それらをいかに繋ぎ合わせてもそれでことを進めれば、その先にあるのは脱出しがたいほどの大きな失敗である。
失敗はいくらしてもかまわないが、そのたびに必ず周りの人たちに迷惑をかける。
その、人に迷惑をかけることの申し訳なさをひしひしと身に感じていれば、次第に失敗の量も減ってくるはず。
そして、同じ失敗を平気ですることのふがいなさも感じるだろう。
気が付けば数多くの失敗がその人を注意深くさせるだろうし、事前に様々な状況を想定した準備ができるようになる。
私も様々な失敗から多くの事を学んだと思っている。
失敗なくしては成功にたどり着けない。
失敗のない成功というものはもとより存在しないとまで言えよう。
同じ失敗、同じ言い訳は、そのたびにその人自身が寂しくなるだろうし、成果は足踏みどころか後退であることを十分に知らなければならない。
いくらその人が周りからどう言われようが辛抱できるなどと強がってみても、それだけでもすでに周りの人に大きな迷惑をかけていることに気付かなければならない。
こうして、日々様々なできごとや失敗を経験することで、人の適応能力は大きくなり瞬時の判断力も培われる。
決して失敗を奨励するわけではないが、取り返しのつかない失敗をしないためにも、そのときに真摯に反省と検証を欠かさないようにしなければならない。
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目先の利益

ノーベル賞医学生理学賞を受賞した本庶佑京都大学特別教授。
本当におめでとうございます。
非常に誇らしいことではあるが、日本の問題点も見えてくる。
これまで日本の学者のノーベル賞受賞者が口をそろえて苦言を呈する課題として、基礎研究に対する国の対応がある。研究環境としては先進国の中でも決して良くはない。
日本の現在を象徴する状況だと思うが30年も50年もかかる基礎研究に国の予算を投入できないということ。
目先の実績に繋がる研究をすることが効果的ではあるだろうが、この長期にわたる我慢強い研究があってこそ人類にとって意義ある技術は進歩する。
民間の企業では資金の有効な利用は経営上必要なことではあるが、繰り返し繰り返し実験、検証を行う研究では短時間でその答えをいい形で出すことは至難の業である。
その難しさと時間を必要とすることから人材の定着や熱意の継続が非常に困難になる。
それがときとしてデーターのねつ造などに繋がってしまう。
こんな状況から次第に日本の基礎研究は成果を上げることが難しくなっていくようだ。
将来を見通すことはそう簡単なことではなく、ましてやそれぞれの研究が必ずそれなりの成果を上げられるかどうかは誰にもよくは分からない。
その他の業界においても辛抱強く物作りを継続していくことは難しく、商品が売れなければ本当に短期間で中止、撤退を余儀なくされる。
我々のファッション業界なども決して辛抱強く売ろうなど言っている時間はないようだ。
そのシーズンに商品を販売して売れなければシーズンが終わる以前にバーゲン処理されてしまう。
そこにはデザイナーの企画ポリシーや販売ポリシーは殆どなく、短期間での販売成果によって良しあしが判断される。
昭和の1時間は今ではほんの1分の感覚かもしれない。
20年30年いや1年が辛抱できないのかもしれない。
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今年もあとわずか

毎年この時期になると残りわずかになった一年を振り返るけれど、年々一年が短く感じられるような気がする。
今年は自然災害を含め、様々なできごとがあまりにも多すぎたからかもしれない。
その上、世界の国々がどうも内向きの姿勢を取ることでよりゴチャゴチャ感が強いのだと思う。
来年になるとよりそれらの問題が混乱を引き起こすようになると思う。
新天皇即位で元号が変わり、オリンピック関連や増税関連の作業対応がより混雑を極め何が何やら分からなくなりそう。
そんな状態ではどさくさ紛れ状態で訳の分からない事態があちこちに起きるのではないか。
今の日本の状況を考えると新元号のもとで、一年目は混乱のスタートになってしまいそうだ。
こういう混乱した状態ではどうしても末端の現実が無視されがちになる。
住みよい日本、安全安心の日本であり得るのか。
今年は国民の前でどれだけの人たちが謝罪し反省の言葉を口にしたことか・・・。
これまでの平和日本の中で注意深さよりも安易さや慢心する心が広がっているように感じる。
おもてなしなどという言葉をわざわざ口に出してて言うことにどこか疑問を感じてしまう。
真摯に丁寧に話を聞きしっかりした対応をしていきますという言葉の重みもなくなっているのではないか・・・。
来年は一つひとつに誠意をもって対応してほしいものだ。
当然私もナッシュ、インブルーの責任者としてその心を忘れないようにしなければならないと思う。
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デニムスーツとスニーカー

デニムスーツのイメージは果してどうなんだろうか。
ごく普通にジーンズのスーツスタイルを想像する人が多いのではないか。
われわれは日々デニムスーツと暮らしているから、デニムスーツとはこれですよと認識しているが、商品を見ていない人からは仮にいくらネット上の写真を見ても実際のスーツをなかなかイメージしにくいと思う。
聞くと見るでは大違いであるし、見るのと着るのでも大違いである。
そんな新しい感覚のデニムスーツもスタートして10年を過ぎるといくらかは知名度も上がってくる。
それを期待して日々頑張っているけれど最近では若いお客が次第に増えつつある。
これからは、デニムスーツをスーツ然として着る着方以外にももっと楽しい着方があることアピールしなければならないと思う。
チェックのデニムジャケットに無地のデニムトラウザー、そして軽やかなスニーカーでコーディネイト。
スーツにはネクタイというイメージがくっついてくるけれど、デニムスーツに関してはもっと自由で新しい着方があっていいと思う。
シャツは個人の慣性で様々な素材、色、柄を選んでいいと思うけれど、インブルーとしてはこれもほとんどどこにもない濃色100番双糸スーピマ綿のボタンダウンのシャツを勧めたい。
これからの商品企画として濃色デニムに楽しくなるようなちょっと派手目のストライプ柄を企画していきたい。
こうなれば様々なおしゃれスニーカーがなおさら若く軽やかにマッチする。
団塊の世代をはじめとして仕事の第一線から退いたおしゃれ感覚を持つ紳士たち、そしてオシャレにもう一度挑戦したいと内心思っているおじさんたちに、デニムの持つ気楽さと実際に着やすいスーツ&ジャケットを若く軽快に見えるスニーカーとともに楽しんでいただきたい。
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偉そうにしても・・

われわれの若いころの電話は、まず受話器を取ってそれから電話機にあるダイヤルに指を入れて相手の番号を一つひとつ回していく。
機械が作動しているという実感が伝わってきた。
ところが今ではそういう動作は無くなり、ダイヤルは番号ボタンに変わりそしてパネルにタッチするだけになった。
そしてまた、何もしなくてもあいての名前を言えば自動的に相手を呼びだしてくれる。
驚くほどの変化が昭和から平成の時代で起きた。
特にこの平成の時代の変化は非常に大きい。
次の時代の元号はどうなるのかわからないが、恐らくもっと変化は激しくなるだろう。
今や日本の中でも戦後世代でさえこの時代の流れには十分にはついていけない。
どこかの大臣が訳の分からないトンチンカンな答弁をしていたが、インターネットの知識やコンピューター機能の知識など残念ながら正味のところほとんど何も分かっていないだろう。
どう頑張っても、分かった振りをすることが精一杯だろう。
これからの政治もとにかく若い人たちが中心にならなければならない。
日々新しい情報や文明が進歩し続けていることを考えれば、今の年寄り連中では、突き詰めてみればとにかくみなさん頑張ってくださいとしか言えないのではないか。
いくら強がって知ったか振りをしてみても恐らく数分後には世界の違いを思い知らされることになる。
これからの時代はどんどん変化が加速し、訳の分からない人たちがその先頭に立って自分たちのペースで歩を進めていては推進力が発揮できず結局は世界で取り残されることにもなりかねない。
国を責任をもって動かす人たちは当然その資格として、少なくとも英語はネイティブに近い話ができることと、インターネットその他自分でそこそこにコントロールできることを条件にすべきだろう。
すでにそういう時代に突入しているのだから、常に「あったらいいね」「そうなったらいいね」などとのんきなことを言っている場合ではありません。
政治家も、どこの大学を出たから何回当選したから要職に付けるだろうなどと、これまでの常識らしい考え方はこの際きっぱり脱ぎ捨てて、改めてこれからの時代には何が必要なのかをもっと真剣に自問自答すべきだろう。
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理論と実践

理論と実践はどちらも紙の裏表のように意味合いは全く異なるけれど必ずくっついている。
物事は理論だけでも成立せず、かといって実践あるのみということもあり得ない。
どちらが優先するかということも一概には決められない。
世の中よく想定外という言葉を聞くが、これは理論が現実に追いつかない状態のことであり、地図も持たずに大体のイメージで山に登れば、どこにたどり着くやら分からない。
理論は決して現実ではなく頭の中で繰り返される一つの考え方である。
現実に起こるでろうことを論じてはいるが決して現実そのものではない。
事実は小説より奇なりとも言われるが、いくら推考を重ねてみても現実はその理論の世界とは異なったことが起きる。
どちらも非常に重要なことであるが、人は残念ながらどちらかに偏りやすい。
俗にいう頭でっかちとか饒舌とか言われる人たちはおおむね理論に偏っている。
その昔は不言実行ということが良しとされていた。あれこれ理屈を並べ立てるよりしっかりした結果を出していくことがいいことだと言われた。
それは結局のところ理屈ではなにも生まれない。あれこれ悩みながらでも実行することでそれに見合う結果が出てくる。そのことが人を説得することに繋がり信頼を得ることに繋がる。
プロ野球の選手が来年はホームラン30本、3割打ちますといくら宣言しても1年後にしっかりした結果を出さなければ評価はダウンする。
理論は物事を行う前であり、実践は結果である。
かといって、いくらやる気満々でも実践計画やシュミレーションが詳しくなされてなく、とにかくやってみなければ分からないと言ってがむしゃらにやることはいいこととは言えない。
実践による経験が多くなれば多いほど、次にやろうとすることの成功確率は高くなる。
現代では、どうしても理論武装したがる傾向が強く、政治家(大臣)も官僚たちの理論をベースに単なる答弁を繰り返すことでことを進めたがる。それによって現実にそぐわない法案がしばしば成立する。
実践とは自らやってみて経験を増やすことであり現場に行くことである。
しかしながら実践経験はその人個人の経験でありそれらを他の人と共有することは非常に難しく、結局は理論に置き換えなければ伝えることができない。
いくら実践者の経験を聞いてもそれをただ理論として聞いていてはほとんどの場合その他の単なる理論と何ら変わらない。
百聞は一見にしかずというけれど、百見しても実践しなければ理論で終わり実践力として身につくことはない。
理論に基づいた実践、実践に基づいた理論。
これが最も信頼を得られる正味の力となる。
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今朝5時過ぎに起きた。
部屋を出るとぼんやりと明るい。
実際にはまだ朝日は昇らない。
この数日間、朝起きると電気の消し忘れかと思うほど明るい。
我が家のテラスに明るい月光が差す。
今朝は少々薄雲がかかっているようで月の輪郭が滲んでいる。
こういう状況を眺めていると少々情緒的にもなるがちょっと寒い。
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金なの?名誉なの?

世界を驚かせるようなニュース。
日産自動車を劇的に立て直したカルロス・ゴーン氏逮捕。
ことの詳細はこの際置いておいて、どうしてあれだけ恵まれた状況にありながら不正を働くのか、我々ごく普通の庶民にはとうてい理解不能である。
彼らの知能をもってすれば、いずれそれらの不正は暴かれるということは分かるはずなのに。
ここでよく言われる言葉に気がいく。
すべてに当てはまるとは言えないが、金持ちほどお金をけちる。金持ちほどよりお金を欲しがる。
それを聞いて、それぐらいにしなければお金はたまらないんだと私は驚きと敬意の念をもっていた。
それにしてもなんとも心が淋しくなる現実の出来事である。
富、権力はそれほどに人の心を盲にしてしまうのか。
負け惜しみで言うわけではないが、わたしにはそれに見合う能力も金もない。
周りの人たちが間違えても大金を支払ってくれることもありえない。
金欲、名誉欲、権力欲に捕らわれている人たちはいつの時代にも驚くほどたくさんいるということである。
何のための努力と能力の発揮なのだろう。
その結末を想像しなかったのだろうか。
能力ある人であれば結末を予想することはそれほど難しいことではないだろうに。
いつの時代にもこういう出来事はあることなのだろうが、どうも日本国全体、世界全体にいまだにこういった自己中心的な欲の実現を狙った危うい策が蔓延しているように感じてならない。
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実力の時代

これまでの日本の在り方はどこか精神的なものが中心だったと思う。
気力とか根性とか、かあるいは国のためなどという大まかで漠然とした雰囲気的な意味合いが非常に強い。
人に求める側も具体的に何をどおすればいいのかには関係なく相手に強要できる微妙な言葉である。
そこには力関係、権限という無言の力が存在して、よくわからないけれどそれに従わなければならないという雰囲気がある。
特にスポーツの世界はこういう状況が長く続いた。
しかし現在では様々な根性論から、科学的に明確な根拠がはっきりあるものでなければ納得できなくなっている。
人には確かに精神力で乗り切れる力も備わっているが、それは最後の最後で科学でもどうしょうもない情況でのことである。
科学的根拠をベースにして状況分析し、何をどうすればよりよくなるのかを理解して努力していくことがもっとも確実な方法といえる。
最近の日本人のスポーツ界での活躍にはこの科学的手法が大きく関係していることは間違いない。
ちょっと前に流行したハンカチ王子だとか、はにかみ王子などのように直接その人の能力には関係ないところの表現がさもその人の能力のように勘違いされたことは、それがいかに根拠のない能力評価だったかを後日証明することになった。
日本人は、この雰囲気言葉がなぜか好きで、なおかつその言葉に大きく影響される。
今、力を発揮しつつあるゴルファーの畑岡奈紗選手などは新しい日本のこれからを示す選手だと思う。
全く一人でアメリカのツアーに参戦し、その壁に大きくはじき返される経験をもとに、決して諦めない強さと理にかなった理論とその組み立てを持ってしっかりやりながらついにはツアー優勝もし、実力のアップにまい進している。
これからの日本は島国根性といわれるように狭い範囲でのお山の大将から脱皮して、日本独自の新しい流れや理論を構築しなければならない。
何十年も前は何事もアメリカに追随していればよかったかもしれないが、あまりにもその期間が長いために日本独自の手法が確立できなかったようだが、これからは独自の道を切り開くことが必要だ。
ゴルフ界では、すでに岡本綾子、宮里藍が道筋を作ったように、体の大きさだけが最大のメリットではないことも証明されているわけで、日本人の特徴でもある体形に関係なく、様々な独自の理論に基づいて新しい流れを作っていけるはずである。
日本人の器用さは、まずは人のやり方をコピーし、それなりのレベルまで結構早く到達する。                      それだけではその人を追い越すことはできないために、最終的には自分流の新しいやり方を編み出さなければならないところに行く。
実力とは、こうして何度も壁に突き当たりそれをいかにして乗り越えるかを考え努力工夫をすることからその人独自の力として身に付いていく。
さまざまな指南書は限りなく存在するけれど、本人の真剣に得た経験に勝る指南書はない。
知識も必要であることには違いないが、本人の実践経験には勝てない。
実力とはそういうものだろう。
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ややこし過ぎる

来年に上げられるであろう消費税率。
単に10%にしますでいいものを、なぜかあれこれいじりまわって、その結果軽減税率なるものを編み出してしまった。
状況に応じて税率が変わることで一般の国民に気を使っているところを示したいのだろうが、さにあらず。
テレビの様々な番組でしきりに解説しているがどんどん難しくなっていく。
われわれぐらいの年になると、そんな面倒くさいことをいちいちその場で考えるなんてほとんど意味を持たない。
それにこの軽減税率は一般庶民対象で、金に余裕のある人たちにはもとよりほとんど関係のない制度である。
政府の一般国民への人気取りといわれても仕方あるまい。
世の中の仕組みはどんなことであれ、単純明快が基本であるべきである。
あれこれ状況に応じて考え方ややり方を変えることは、それを考える人の都合であって決してそのシステムで動かされる側の都合ではない。
例外が多く状況設定も数々あり、そのうえ忖度する状況もまじりあって誰のための制度なのかがどんどん複雑化して分からなくなる。
複雑にすればするほどその隙間を狙ってくる策士も多く出てくる。
物事は単純明快を旨とすべきで、どういう策を考えようと100%満足できる制度などもとより存在しない。
10%一つであれば計算もシステムの対応も楽であり、時間や経費を最小限に抑えられる。そのうえ間違いやいざこざも抑えられる。
どう見ても税率を引き上げることの言い訳にしか思えない方法を提示することで反対に国民に混乱を与えるような制度がよい訳がない。
こんなに国民のことを考えているんだということが言いたいのであれば他にできることが山のようにあるではないか。
単純明快、単純明快、そして本音で語る。
これ以外国民からの信頼は得られないのではないか。
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