文化、歴史遺産

倉敷繊維産地が日本遺産に認定されたことが報道されている。
倉敷の現在にい至るまでの様々な産業活動は特に繊維産業を中心として日本遺産に認定される価値はあると思う。
しかしながらこれまでの経緯を考えると、どうもそれ以後新しい産業活動はほとんど生まれてないように思う。
そのほとんどは過去の歴史に支えられて、その流れを踏襲するにとどまっている。
考えてみるに、昔の人たちが新しい産業を興すためにあれこれ考え挑戦してきた状況と、今の人たちがその流れにただ乗っているだけの状況には大きな違いがあると私は思う。
過去の人たちに敬意を払うことはいいことだと思うが、おそらくその人たちから見るとなぜに我々のやってきたことを凌駕するようなことをやらないのかと不思議に思うのではないか。
少し前に、あるジーンズメーカーの若い社長と話したことがある。
初代経営者の努力に敬意を表しながら先祖を振り返り今一度それらの過去の商品を見直してみるという趣旨の話しをしていた。
それに対して私は、それは全く逆ではないか、恐らく初代経営者の気持ちは、彼らがやってきたことをそのまま後継者が踏襲することを望んではない、反対に自分たちのやってきたことを土台にはしてもそれをどんどん乗り越えて行ってほしいと思っているに違いないと言った。
しかしながらその結果は、新しい世界に飛び込むより過去の思いに引き込まれてしまった。
遺産というのは時として大きな力を発揮するけれど、反対に後輩たちの進むべき道を大きく拘束することにもつながる。
古いものがなくなるということは必ずしもいいことではなく、そこには様々な努力や工夫の跡がたくさん残されている。
かといって、今さら綿花を栽培して糸を作り紐を織り昔の手法でジーンズを作ることにどれだけの将来性があるのだろうか。
一つの史実として残していくというのであればそれなりの価値はあるだろうが、それが主になるということであれば疑問である。
時代は過去には決して戻らない。
いくら過去を掘り下げてみてもそれは単に思い出の世界で慰めあっているに等しい。
厳しい言い方をすれば過去の経験は大切にしつつも次の時代を動かしていくべきことに力を注ぐべきであろう。
遺産は時として、時代とともに前に進んでいくべき人たちに大きな勘違いをさせてしまう。
元総理大臣・・はあくまで過去のことであって名誉ではあっても現実ではない。
今のファッション業界の問題点は新しい主張がなく売れることが第一になってることで楽しさも刺激も非常に少なくなってしまっていることだ。
遺産の価値を決して否定しないが、遺産に頼ることの希薄さと危うさも知らなければならない。
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