真似る

真似るという言葉からはあまりよくないことを連想するかもしれない。
人様の考えやアイディアをそのままちょっと失敬することはよくあることのようだが、真似るということとそのまま拝借するということにはいくらか感覚的には違いがあるように思う。
われわれはこの世に生まれてからそのほとんどは人のすることを真似ることから始まっている。
まずは母親のすることを一心不乱に真似てきた。
真似るという意識をしなくてもそうすることで様々な経験をしてきたことは間違いない。
それでも仕事を始めるようになると上司から俺の言うとおりにやれと言われながら上司と全く同じようにやろうとすると嫌がられてしまう。
しかし野球やゴルフなどのスポーツ、絵や書、音楽などいずれも指導者の言う通りに真似ていかなければ決して上手くはなれない。
だから何事も自分より優れている人に対しては真似る精神は欠かせないことだと思う。
真似るという言葉のニュアンスは人によって感じ方が違う。
しかしいくら徹底して真似てみても全くそれと同じことには、あるいは同じものにはになりえない。
そうしてあれこれやっている間に自分らしい何かが出来上がってくる。
個性がそこで発揮されることになる。
先人たちが長年かかって築き上げた経験や技術はそれをものにするまでに大いに苦労したはずだがその成果をわれわれがうまく利用できるとすればそれは素晴らしいことだと思う。
しかし引き継いでいく人たちにはその先人たちと同じ苦労を共有しているわけではないことでどうしても気持ちは安易になってしまうことにもなる。
時代がどんどん変化することで、それらの経験が現実的ではなくなってしまうこともあるだろうが、それでもそこには大切な基本がしっかり埋め込まれているはず。
われわれは、ときとして現代の便利さで過去の技術や経験を軽く見てしまうことがあるが、これからの世界の安心と安全の基本には高い技術だけを追い求めて宇宙へ飛び出していくことだけでなく、もっと人間的な生き方を近くで真似ていくことも、この人間の地球をより住みよくするためには欠かせないことだと思う。
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