ぎりぎりセーフ

今の社会の中では、何をやってもどこかにラインが引かれてあって、これ以上先はダメだとかこれ以下はダメだとか判断される。
試験を受ければ合格ラインがあり、勝負事には必ず勝ち負けがわずかの差でも判断される。
電車に乗ろうとすれば、発車時刻があって数秒の差でもドアは閉まってしまう。
われわれの子供のころは、バスも電車も車掌がいて少々の時間は待ってくれることがよくあった。
お金を忘れて買い物に行っても、近くの店であれば、いいよこの次でと言って商品を渡してくれる。
これはデジタルな今の時代と違うところで、いたるところにアナログ感そのものが漂っていた。
そんな線引きのはっきりした厳しい現代においても、要は引かれたラインの中であればセーフということである。
電車に10分前に乗ってる人と、10秒前に乗った人はいくらぎりぎりであっても同時刻に同じ目的地に着くことができる。
学校の入学試験でも、ぎりぎりで試験に受かれば、それからの努力次第で順位はいかようにでも変わってくる。
この線引きは、とりあえずこうしなければけじめがつかないということであるが、たまたま運のいい人も                           その逆にたまたま運が悪かったという人も一律に分けしてしまう。
常に上手く線の内側に入れる人と、なぜかわからないけれど外れてしまう人がいる。
私の人生はどう見ても、楽々セーフの世界ではなく常にぎりぎりのところでやってきたように思う。
それがわかっていながら、それならもう少し事前に努力をすればいいと思うがそれがなかなかできない。
よって常にぎりぎりのところをうろうろすることになる。
負け惜しみではないが、このぎりぎりというところにはさまざまな経験ができるメリットがある。
間に合うか間に合わないか、合格するかしないか・・・常にそういう不安にさらされているわけだから、もしダメな時は次にどうしようかというこを考える訓練ができる。
反対にいつも上手くいっている人は、それだけの努力をしているのだろうが、残念ながらその際のところの不安さや悔しさをほとんど経験しないことになり、ダメだったときの様々な対策ができにくくなるかもしれない。
必要以上に苦労することはもちろんないのだが、私の持論としては、人は失敗することや苦労することからしか学べないと思っている。
これからの混沌とした時代の中では、果たして何がどうなっていくのかはっきりとは見通せない。
それでもぎりぎりアウトにならないように、必ずどうにかセーフになるように常日頃から考えを巡らせ視野を広げていかなければならないと思う。
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