2600㎞の旅

今月21日から5日間かけて東北の地を周ってきた。
7年前に東日本大震災が起きたときこの地に来た。
どうしても直接大変な現場の現実を見ておくべきだと思って車でやってきた。
その後、復興工事があちこちで進められ、それなりに状況は変化している。
それでも実際に改めて現場を見ると微妙な心理状態になる。
除染物を入れた黒い大きな袋が大量にそのまま置かれているところも、人の住んでいない民家もあるけれど、広大な土地にソーラーパネルが敷き詰められているところも、風力発電のプロペラがいくつも回っているところもある。
原発はやめてこういう再生可能発電にしてしまえばいいのではないかと思いもした。
広い広い土地がどんどん整地され、水田に戻っているところもあれば、まだそのまま更地になっているところも多い。
それでも、海との境界線には延々と堤防が築かれている。
大きな津波被害に見舞われるとこうして堤防を築こうという気持ちは理解できないわけではないが、どうしてもすっきりした気持ちになれない。
遠く離れて比較的自然災害の少ない岡山に住んでいるので、個人的にあれこれ言うべきではないのだろうが、大きく景観が変わってしまったのは確かである。
しかし、元に戻すことは不可能であることを考えると、できるだけ安全で住みよい街づくりをすることになるのは当然だろう。
過去を捨ててしまったり忘れ去ってしまうことはできないが、形はどうであれ前に向いていくしかない。
この厳しさの中で新しい何かが生まれてくるといいなと、あまりにも人ごとのように思ってしまうことに少しばかり心苦しさを感じるが、2600kmを黙々と走りながら我々の地でも我々の会社でも、いつ突然の変化や衝撃が訪れるかわからないと考えた。
7年前の衝撃を今回訪れることで一応の区切りが私の心の中ではできたと思う。
その地の人たちは様々な思いを胸にしまい、あるいは重く背負いながらこれからも前に向かって歩まなければならない。
往きは日本海側を走ったが帰り道は東京のど真ん中を通った。
私のように田舎に住んでいるものにとっては日本海側はまだしも東京の高速道路はあまりにも緊張せざるを得ない。
初めて走る東京の高速道路は、どこをどう走ったのか全くよく分からず、ただナビの指示に従ってハンドルを握りしめ標識を見落とさないよう最大限の注意を払ってそれなりのスピードも出して走った。
東名高速に出たときは本当にやれやれだった。
もう二度と車で東京には行きたくないと思った。
仮にではあるが、東京に同じような津波が押し寄せたときは果してこの地は如何なることになるのだろうか・・・。
(今回訪れた町は、双葉町、浪江町、南相馬市、名取市、仙台市、松島、女川、南三陸町、気仙沼市、陸前高田市、大船渡市)
広告
カテゴリー: Uncategorized パーマリンク