潔さ

何事においても、潔さというのは人間にとって大切な要素だと思う。
ところが最近の日本において、トップにいる人たちの潔さというものがほとんど失われてしまったようだ。
何かにつけ言い逃れや詭弁を弄することがあまりにも多い。
いつぞやは相撲界においても横綱が勝負判定にクレームを付けた。
トップたる者が自分の負けを真摯に認めることをせず、審判(行司)に不満を示すなど、そこにはまったく横綱としての潔さは感じられない。
スポーツ界は潔さを基本にしていると思っていたが、様々な問題を積極的に起こしたり権力で押し切ろうとしたり、どこにも本来の潔さは見当たらない。
もしかするとアマチュアスポーツにおいても同様の現象が起きる可能性を感じる。
これらはなぜ起こるのか。
答えは簡単。
日本で一番権限を持つ立場の人があまりにも姑息な論法を使いすぎるということ。
どんな組織でもトップが清廉潔白で潔さを持ち合わせていたら状況はいくらでも改善できる。
誰しもトップの行動をよく見てるし判断の基準にする。
あれでいいんだったら私もそれでいこうと考えることは残念であるが大いにありうる。
トップが率先して範を示さなければ、口先で問題を徹底的に解明するなどという言葉を何度繰り返しても、己の立場の擁護のための権限や無言の圧力をかけることが常套手段として使われるようになっていては、範を示すことなど到底できないだろう。
もう日本には潔さは存在しないのではないかと思う。
権限を持つとなぜこれほどまでに人は正義も潔さも失ってしまうのか。
誰が範を示してけじめをつけるのか。
改ざん、ねつ造、口裏合わせがごく普通に行われ、無言の忖度がいとも簡単になされるに至ってはどうしようもない。
それらは我々をとことん失望させる。
そして最も悪いのは権限を振りかざし圧力をごく普通にかけてしまう。
本来、最も使ってはならないこれらの事柄をいかにうまく使うかがトップに立つ人間の力量ということになっている。
本来の筋道が幾重にも捻じれている。
だから、何が正しいのか、何をしなければならないのか、何が冷静でかつ正しいやり方なのか誰もわからなくなる。
そのうえ、何かあれば第三者委員会を設けてという常套句が出る。
第三者とは当事者とは縁もゆかりもない正味の第三者でなければ意味がないのだが、力関係や金銭関係が微妙につながっている場合がほとんどである。
今では何が正しいことなのかを心を正して主張できる人がいなくなるのではないかと思う。
マスメディアもそれぞれの最も大切な一般大衆の立場を守るというスタンスに欠けていて、特にワイドショーなど評論家なのか単にコメンテイターなのかわからないだけでなく、検事や、探偵や、弁護士が、またそれらしい分析を素人タレントが軽々しくしかし堂々と主張する。
そしてまたネット上ではありとあらゆる意見、中傷が飛び交ってしまう。
もうこうなっては何が何だかわからない。
文明の利器も使い方を誤れば世の中を大いに混乱させるだけの道具になってしまう。
これらの混乱はトップの姿勢次第で大いに違った状況になるはず。
真摯な心、真摯な態度で潔さを基本に持って事に当たることが、これこそ人の信頼を得られる唯一の正しい方法だと私は思う。
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