3月11日(東日本大震災)

今から8年前、パリへ久しぶりに視察旅行に出かけ、帰国したその翌日にこの出来事は起きた。
突然のテレビニュースにどう表現したらいいかわからない状況が映し出されていた。
長い歴史の中には我々の知らない驚くべき現象が数限りなく引き起こされてきたはずである。
しかしながら実際にテレビではあってもそこの映し出される現実を目の当たりにすると言葉を失ってしまう。
その後6月に現場に行った。
車で走りながら次第にその現場に近づくときの心の乱れを今も覚えている。
そしてその現場を前に、これはもう安易に何かを表現するという感覚ではなくただ黙って自分の心に感じるしかなかった。
あれから毎年政府主催の追悼式が行われているが、どうしても心がむなしくなることがある。
それは、この未曽有の出来事に対して最も被災者に寄り添って尽力しなければならない政府の式辞が          この3年間ほとんど同文であるということ。
首相が読み上げる式辞が毎年同文では被災者や残された遺族への心遣いは全く感じられない。
単に決められた行事になっているとしか思えない。
これが今の日本なのだろうと勝手に思ってしまう。
真剣に現場を見れば、真剣に被災者の声を聴けば何かが変わってくるはずだ。
日本の未来にはこうした負の出来事に対してもどれだけ心を寄せて対応できるかが大切であり、ただ日々の決められた仕事にのみ力を注ぐだけで発展していくとは考えられない。
また来年の3月11日までこの出来事はどこかにしまい込まれるのだろう。
安全神話の権化のような原発崩壊の後処理は全く前進していないというのに・・・。
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