理論と実践

理論と実践はどちらも紙の裏表のように意味合いは全く異なるけれど必ずくっついている。
物事は理論だけでも成立せず、かといって実践あるのみということもあり得ない。
どちらが優先するかということも一概には決められない。
世の中よく想定外という言葉を聞くが、これは理論が現実に追いつかない状態のことであり、地図も持たずに大体のイメージで山に登れば、どこにたどり着くやら分からない。
理論は決して現実ではなく頭の中で繰り返される一つの考え方である。
現実に起こるでろうことを論じてはいるが決して現実そのものではない。
事実は小説より奇なりとも言われるが、いくら推考を重ねてみても現実はその理論の世界とは異なったことが起きる。
どちらも非常に重要なことであるが、人は残念ながらどちらかに偏りやすい。
俗にいう頭でっかちとか饒舌とか言われる人たちはおおむね理論に偏っている。
その昔は不言実行ということが良しとされていた。あれこれ理屈を並べ立てるよりしっかりした結果を出していくことがいいことだと言われた。
それは結局のところ理屈ではなにも生まれない。あれこれ悩みながらでも実行することでそれに見合う結果が出てくる。そのことが人を説得することに繋がり信頼を得ることに繋がる。
プロ野球の選手が来年はホームラン30本、3割打ちますといくら宣言しても1年後にしっかりした結果を出さなければ評価はダウンする。
理論は物事を行う前であり、実践は結果である。
かといって、いくらやる気満々でも実践計画やシュミレーションが詳しくなされてなく、とにかくやってみなければ分からないと言ってがむしゃらにやることはいいこととは言えない。
実践による経験が多くなれば多いほど、次にやろうとすることの成功確率は高くなる。
現代では、どうしても理論武装したがる傾向が強く、政治家(大臣)も官僚たちの理論をベースに単なる答弁を繰り返すことでことを進めたがる。それによって現実にそぐわない法案がしばしば成立する。
実践とは自らやってみて経験を増やすことであり現場に行くことである。
しかしながら実践経験はその人個人の経験でありそれらを他の人と共有することは非常に難しく、結局は理論に置き換えなければ伝えることができない。
いくら実践者の経験を聞いてもそれをただ理論として聞いていてはほとんどの場合その他の単なる理論と何ら変わらない。
百聞は一見にしかずというけれど、百見しても実践しなければ理論で終わり実践力として身につくことはない。
理論に基づいた実践、実践に基づいた理論。
これが最も信頼を得られる正味の力となる。
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今朝5時過ぎに起きた。
部屋を出るとぼんやりと明るい。
実際にはまだ朝日は昇らない。
この数日間、朝起きると電気の消し忘れかと思うほど明るい。
我が家のテラスに明るい月光が差す。
今朝は少々薄雲がかかっているようで月の輪郭が滲んでいる。
こういう状況を眺めていると少々情緒的にもなるがちょっと寒い。
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金なの?名誉なの?

世界を驚かせるようなニュース。
日産自動車を劇的に立て直したカルロス・ゴーン氏逮捕。
ことの詳細はこの際置いておいて、どうしてあれだけ恵まれた状況にありながら不正を働くのか、我々ごく普通の庶民にはとうてい理解不能である。
彼らの知能をもってすれば、いずれそれらの不正は暴かれるということは分かるはずなのに。
ここでよく言われる言葉に気がいく。
すべてに当てはまるとは言えないが、金持ちほどお金をけちる。金持ちほどよりお金を欲しがる。
それを聞いて、それぐらいにしなければお金はたまらないんだと私は驚きと敬意の念をもっていた。
それにしてもなんとも心が淋しくなる現実の出来事である。
富、権力はそれほどに人の心を盲にしてしまうのか。
負け惜しみで言うわけではないが、わたしにはそれに見合う能力も金もない。
周りの人たちが間違えても大金を支払ってくれることもありえない。
金欲、名誉欲、権力欲に捕らわれている人たちはいつの時代にも驚くほどたくさんいるということである。
何のための努力と能力の発揮なのだろう。
その結末を想像しなかったのだろうか。
能力ある人であれば結末を予想することはそれほど難しいことではないだろうに。
いつの時代にもこういう出来事はあることなのだろうが、どうも日本国全体、世界全体にいまだにこういった自己中心的な欲の実現を狙った危うい策が蔓延しているように感じてならない。
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実力の時代

これまでの日本の在り方はどこか精神的なものが中心だったと思う。
気力とか根性とか、かあるいは国のためなどという大まかで漠然とした雰囲気的な意味合いが非常に強い。
人に求める側も具体的に何をどおすればいいのかには関係なく相手に強要できる微妙な言葉である。
そこには力関係、権限という無言の力が存在して、よくわからないけれどそれに従わなければならないという雰囲気がある。
特にスポーツの世界はこういう状況が長く続いた。
しかし現在では様々な根性論から、科学的に明確な根拠がはっきりあるものでなければ納得できなくなっている。
人には確かに精神力で乗り切れる力も備わっているが、それは最後の最後で科学でもどうしょうもない情況でのことである。
科学的根拠をベースにして状況分析し、何をどうすればよりよくなるのかを理解して努力していくことがもっとも確実な方法といえる。
最近の日本人のスポーツ界での活躍にはこの科学的手法が大きく関係していることは間違いない。
ちょっと前に流行したハンカチ王子だとか、はにかみ王子などのように直接その人の能力には関係ないところの表現がさもその人の能力のように勘違いされたことは、それがいかに根拠のない能力評価だったかを後日証明することになった。
日本人は、この雰囲気言葉がなぜか好きで、なおかつその言葉に大きく影響される。
今、力を発揮しつつあるゴルファーの畑岡奈紗選手などは新しい日本のこれからを示す選手だと思う。
全く一人でアメリカのツアーに参戦し、その壁に大きくはじき返される経験をもとに、決して諦めない強さと理にかなった理論とその組み立てを持ってしっかりやりながらついにはツアー優勝もし、実力のアップにまい進している。
これからの日本は島国根性といわれるように狭い範囲でのお山の大将から脱皮して、日本独自の新しい流れや理論を構築しなければならない。
何十年も前は何事もアメリカに追随していればよかったかもしれないが、あまりにもその期間が長いために日本独自の手法が確立できなかったようだが、これからは独自の道を切り開くことが必要だ。
ゴルフ界では、すでに岡本綾子、宮里藍が道筋を作ったように、体の大きさだけが最大のメリットではないことも証明されているわけで、日本人の特徴でもある体形に関係なく、様々な独自の理論に基づいて新しい流れを作っていけるはずである。
日本人の器用さは、まずは人のやり方をコピーし、それなりのレベルまで結構早く到達する。                      それだけではその人を追い越すことはできないために、最終的には自分流の新しいやり方を編み出さなければならないところに行く。
実力とは、こうして何度も壁に突き当たりそれをいかにして乗り越えるかを考え努力工夫をすることからその人独自の力として身に付いていく。
さまざまな指南書は限りなく存在するけれど、本人の真剣に得た経験に勝る指南書はない。
知識も必要であることには違いないが、本人の実践経験には勝てない。
実力とはそういうものだろう。
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ややこし過ぎる

来年に上げられるであろう消費税率。
単に10%にしますでいいものを、なぜかあれこれいじりまわって、その結果軽減税率なるものを編み出してしまった。
状況に応じて税率が変わることで一般の国民に気を使っているところを示したいのだろうが、さにあらず。
テレビの様々な番組でしきりに解説しているがどんどん難しくなっていく。
われわれぐらいの年になると、そんな面倒くさいことをいちいちその場で考えるなんてほとんど意味を持たない。
それにこの軽減税率は一般庶民対象で、金に余裕のある人たちにはもとよりほとんど関係のない制度である。
政府の一般国民への人気取りといわれても仕方あるまい。
世の中の仕組みはどんなことであれ、単純明快が基本であるべきである。
あれこれ状況に応じて考え方ややり方を変えることは、それを考える人の都合であって決してそのシステムで動かされる側の都合ではない。
例外が多く状況設定も数々あり、そのうえ忖度する状況もまじりあって誰のための制度なのかがどんどん複雑化して分からなくなる。
複雑にすればするほどその隙間を狙ってくる策士も多く出てくる。
物事は単純明快を旨とすべきで、どういう策を考えようと100%満足できる制度などもとより存在しない。
10%一つであれば計算もシステムの対応も楽であり、時間や経費を最小限に抑えられる。そのうえ間違いやいざこざも抑えられる。
どう見ても税率を引き上げることの言い訳にしか思えない方法を提示することで反対に国民に混乱を与えるような制度がよい訳がない。
こんなに国民のことを考えているんだということが言いたいのであれば他にできることが山のようにあるではないか。
単純明快、単純明快、そして本音で語る。
これ以外国民からの信頼は得られないのではないか。
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地方創生・・・

国の政策で地方を元気にしようと意気込んであれこれ策を講じるけれど、結局はほとんど何も変わらず、むしろ東京の人口はどんどん増えている。
すべての機能を東京に集中させておいて地方が元気がないから何とか元気を出させようなどと一見地方のことを考えているような政策は恐らくどんなに頑張ってみても効果は上がらない。
地方創生担当大臣も役職はあるが基本的に東京にいたいわけだからこれは冗談にもならない。
世の中、何事もリードすべき人は自らが率先して行動し周りにその意味、意義を伝えなければ何事も変わることはない。
掛け声といくらかのお金でみんな地方のために頑張ってくださいと丸投げしてみても笛吹けど誰も踊らず。
というよりも何をどおすればいいのかほとんど見当もついてないのではないか。
ではなぜみんな東京を目指すのか。
政治も経済もその他文化もスポーツもまずは東京という図式が強固に出来上がっている限りこれを壊すことは不可能に近い。
不可能な状況で、ことをやらせておいて皆さんどんどんやってくださいと煽ってもそんなことは単なる理屈であって実践には結びつかない。
寒い時も子供は元気よく外で遊びなさいと言いながら、肝心の大人たちは暖かい家の中でのんびりおいしい食事を楽しんでいる状況によく似ている。
地方創生を叫ぶのであればまずは東京を一度分解することが必要だろう。
東京でなくてもいいことはどんどん地方へ移していくことを具体的にやらなければいけない。
誰も地方へ行きたくない・・・。これでは地方が活性化する根拠が元から存在しなくなる。
インターネットで世界中がつながっている時代に政治と行政が東京にしがみついているようではすべてが上っ面の政治になってしまう。
東京の税金をとことん高くすることが一番簡単なことだと思うがそうはいかない。
だとすれば地方の税金をとことん安くすればいい。                                          安くすれば地方行政が成り立たないなどという理屈も出てくるだろうが、誘致企業も働く人もまとめて移動させる必要がある。
30年ほど前に瀬戸大橋が開通したとき、通行料が非常に高かった。
国の決め方で出された金額では誰も渡りたくない。
当然当初国がもくろんだ通行量を達成するためにほぼ倍の時間がかかった。                               国民にとっての便利さが第一目的であれば安くて当たり前なのだがそれができない。
国会議員も自分の金を払って何度もわたってみればこれが困った橋であることはすぐに気が付くはずであるがそれができなかった。                                                  これこそ料金をぎりぎりまで安くして通行量を増やす以外、本来の橋の目的はないはず。
地方創生とは美しい言葉だが、言葉で誤魔化しているように思える。
発想を変えれば、地方の魅力を単発的にアピールするよりは、国として東京を住みにくくすればいいだけのことだと私は思う。
地方を盛り上げるには独断的ではあるがこれぐらいの考え方でやらなければ何年たっても何も変わらないだろう。
地方創生というのであれば政府も画期的創造力をもっと磨かなければならないのではないか。
今はまだオリンピックなどというイベントで誤魔化せるけれど、その先に対してはもう打つ手がないのではないか。
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自然・・・?

ふと足元を見るとカマキリがカマキリを喰っている。
このシーズンになるとこういうシーンをよく見かける。
少々残酷だがこれも生きるため、子孫繁栄のために必要な決めごとだ。
家の周りには今たくさんのカマキリがあちこちでじっと動かない状態でいる。
メスがオスを喰ってから木や草の茎に卵を産み付ける。
暖かくなるとたくさんの子供がこの巣から生まれてくる。
生き物は決められたように決められたことをこうして実行していく。
人間はあれこれ好き嫌いを言ったり面倒くささいと言ったりでなかなか決まったことさえやりきれない。
楽しくはないかもしれないが、あれこれ考えずごく自然に何事もやっていければいいと思うけれど、人間は考えることをやめるわけにはいかないのでなかなか難しい。
ならば徹底して考え抜くということもあると思うがそれも結構難しく結局はそのほとんどは中途半端になってしまう。
この際、一にも二にも寝ても覚めてもデニムスーツのことを考えるようにするしかないか・・・。
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本屋の廃業

一時代を築いてきた本屋。
時の流れを感じさせるようにいつも行く本屋がついに廃業した。
本屋は当然そのあたりに大なり小なりいくらでもあると思ってきたが、非常に残念ながら廃業の一途である。
近いところではすでにあと一軒になってしまったようだ。
昔から買わなくても時間つぶしにでも何かありそうで立ち寄ってきた。
確かに最近ではネットで購入することもできるので、それはそれで利用するがネットでは感じられない本屋独特の雰囲気がある。
ついでに隣の本をめくって見ることもできる。
いっぱい並んでいる本は何か元気を与えてくれる。
私は図書館にはまずいかないのでもっぱら本屋で気に入った本を買う。
確かにインターネットは便利でいいが、この世界はまた別の世界であって本屋とは違う。
今日、立ち寄った本屋も数か月前に「最近どんどん本屋が廃業しているけどおたくは辞めないよね」と確認したばかりである。
その時は「うちは辞めませんよ。これからもよろしく」と元気よく答えていたので安心していたが実際のところは大変だったんだなと思わざるをえない。
それにしても最近の人たちは本を読まなくなったのかそれともネットを利用しているのか分からないが本屋の経営が成り立たない状況になっているということは間違いない。
図書館で本を借りるのは返しに行かなければならないのでそれが面倒であるという横着さと、気になるところに線を引いたり書き込んだりすることができないのでそれが困るという、私にとってのデメリットがある。
学問の発展には本は絶対的に必要なものであったし今もそうであると思う。
それなのにどんどん本屋が消えていくということは残念だ。
なんだか昨日までそこにいた親しい人がどんどん何処かへ去っていくような寂しい気持ちになっていく・・・。
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もう冬か・・

毎年のことだがちょうどいいシーズンは非常に短い。
どちらかといえば春の方が楽しめる期間は長いように思う。
秋はあっという間に終わってしまいそう。
まだまだ紅葉はこのあたりでは始まっていないけれど朝夕は涼しさというより寒さを感じる。
熱燗シーズンの到来と喜んでいる。
酒は気の置けない人たちと勢いで楽しむことがいいと思っていた時代もあったけれど、今では少ない人数でゆっくり語りながら味わうということがいいなと思うようになった。
一人酒というのもまたいいものだと思う。
ただやけ酒の類は決してしたくない。                                              酒は全く美味くないし飲んでいる自分が益々惨めになってくる。
そんな時はやけになる話は忘れてじっくり酒を楽しむことに徹したい。
しかしながらこういう私は利き酒などほとんどできない。
ただ雰囲気で飲んでいるに過ぎない。
確かに最初の一口で美味い、辛い、などの感覚はあるが、それが酒を飲むことに大きく影響することはない。
多くは飲めないので酒を味わうのは最初の一時間ぐらいで十分である。そこから先はいつもながら勢いか惰性かのいずれかでしかない。
今や日付が変わるまでなどという飲み方はあり得ない。
最も自分自身でいいなと思う飲み方は、なんとなく後姿がわびしく見えるかもしれないけれど、小さな飲み屋のカウンターで魚料理を当てにして二合ぐらいをゆっくり飲むことだろうか。
少し頑張って隣に男性でも女性でも構わないが話に付き合ってくれる人が一人いれば十分かな・・。
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秋か・・・

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今日のお昼わが家のテラスで食事。
これまでの夏の暑さに代わって爽やかな風が吹き抜けていく。
庭木のシルエット越しに空を見上げると澄んだ青い空に白い雲。
九月と言えば夏であり秋である。
年によっては遅い夏、早い秋のこともある。
今日、女優樹木希林が亡くなったことを知る。
次第に我々の年代の人たちが旅立っていく。
そういう年になったんだと、いやがうえにも意識せざるを得なくなる。
新しい時代が流れていく。
われわれの意識では考えられない価値観や進化がどんどん進んでいく。
それらに遅れないようについていこうという意識はあるが、実際には難しく疲れることである。
そろそろ無理することは諦めて歩を緩めて自分の周りを静かに見てみることも必要ではないかと自問する。
常に精いっぱいのテンションで思いを伝えようとしてきたけれど、どうにもその努力の効果は思いのほか上がらない。
これらの現象はときに私を苛立たせる。
そんなとき、私もまだまだ若いなと自分をそれなりに認めてきた。
しかしながら、いつまでも同じことの繰り返しに大きく失望することもある。
それはおそらく私の期待が勝手に大きくなっているに過ぎないなのだろう。
ことにはそれぞれ、それなりのバランスというものがある。
人生を己の信念を通して生きていける人たちもいる。
かといってどう生きていくことがそうなのか私には残念ながらよくわからないし常に揺れ動く。
一歩も二歩も引いてゆっくりあたりを眺めて見る余裕を持とうと思いながら何かあればついつい近づきすぎてしまう。
それはそれなりにどうすればいいのかそのたびに状況が違っていて、うまくいくときもあれば自己嫌悪に陥ることもる。
振り返るとそんなことの繰り返しでここまでやってきた。
さて、果たしてこれから何がどうなるのやら。
期待もあれば不安もある。
だから、時の流れには刃向かわず、されど流されっぱなしにはならず、いくらかの存在感を意識することは諦めない。
秋っていうのは季節なのか人生なのか・・・・。
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