地方創生・・・

国の政策で地方を元気にしようと意気込んであれこれ策を講じるけれど、結局はほとんど何も変わらず、むしろ東京の人口はどんどん増えている。
すべての機能を東京に集中させておいて地方が元気がないから何とか元気を出させようなどと一見地方のことを考えているような政策は恐らくどんなに頑張ってみても効果は上がらない。
地方創生担当大臣も役職はあるが基本的に東京にいたいわけだからこれは冗談にもならない。
世の中、何事もリードすべき人は自らが率先して行動し周りにその意味、意義を伝えなければ何事も変わることはない。
掛け声といくらかのお金でみんな地方のために頑張ってくださいと丸投げしてみても笛吹けど誰も踊らず。
というよりも何をどおすればいいのかほとんど見当もついてないのではないか。
ではなぜみんな東京を目指すのか。
政治も経済もその他文化もスポーツもまずは東京という図式が強固に出来上がっている限りこれを壊すことは不可能に近い。
不可能な状況で、ことをやらせておいて皆さんどんどんやってくださいと煽ってもそんなことは単なる理屈であって実践には結びつかない。
寒い時も子供は元気よく外で遊びなさいと言いながら、肝心の大人たちは暖かい家の中でのんびりおいしい食事を楽しんでいる状況によく似ている。
地方創生を叫ぶのであればまずは東京を一度分解することが必要だろう。
東京でなくてもいいことはどんどん地方へ移していくことを具体的にやらなければいけない。
誰も地方へ行きたくない・・・。これでは地方が活性化する根拠が元から存在しなくなる。
インターネットで世界中がつながっている時代に政治と行政が東京にしがみついているようではすべてが上っ面の政治になってしまう。
東京の税金をとことん高くすることが一番簡単なことだと思うがそうはいかない。
だとすれば地方の税金をとことん安くすればいい。                                          安くすれば地方行政が成り立たないなどという理屈も出てくるだろうが、誘致企業も働く人もまとめて移動させる必要がある。
30年ほど前に瀬戸大橋が開通したとき、通行料が非常に高かった。
国の決め方で出された金額では誰も渡りたくない。
当然当初国がもくろんだ通行量を達成するためにほぼ倍の時間がかかった。                               国民にとっての便利さが第一目的であれば安くて当たり前なのだがそれができない。
国会議員も自分の金を払って何度もわたってみればこれが困った橋であることはすぐに気が付くはずであるがそれができなかった。                                                  これこそ料金をぎりぎりまで安くして通行量を増やす以外、本来の橋の目的はないはず。
地方創生とは美しい言葉だが、言葉で誤魔化しているように思える。
発想を変えれば、地方の魅力を単発的にアピールするよりは、国として東京を住みにくくすればいいだけのことだと私は思う。
地方を盛り上げるには独断的ではあるがこれぐらいの考え方でやらなければ何年たっても何も変わらないだろう。
地方創生というのであれば政府も画期的創造力をもっと磨かなければならないのではないか。
今はまだオリンピックなどというイベントで誤魔化せるけれど、その先に対してはもう打つ手がないのではないか。
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自然・・・?

ふと足元を見るとカマキリがカマキリを喰っている。
このシーズンになるとこういうシーンをよく見かける。
少々残酷だがこれも生きるため、子孫繁栄のために必要な決めごとだ。
家の周りには今たくさんのカマキリがあちこちでじっと動かない状態でいる。
メスがオスを喰ってから木や草の茎に卵を産み付ける。
暖かくなるとたくさんの子供がこの巣から生まれてくる。
生き物は決められたように決められたことをこうして実行していく。
人間はあれこれ好き嫌いを言ったり面倒くささいと言ったりでなかなか決まったことさえやりきれない。
楽しくはないかもしれないが、あれこれ考えずごく自然に何事もやっていければいいと思うけれど、人間は考えることをやめるわけにはいかないのでなかなか難しい。
ならば徹底して考え抜くということもあると思うがそれも結構難しく結局はそのほとんどは中途半端になってしまう。
この際、一にも二にも寝ても覚めてもデニムスーツのことを考えるようにするしかないか・・・。
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本屋の廃業

一時代を築いてきた本屋。
時の流れを感じさせるようにいつも行く本屋がついに廃業した。
本屋は当然そのあたりに大なり小なりいくらでもあると思ってきたが、非常に残念ながら廃業の一途である。
近いところではすでにあと一軒になってしまったようだ。
昔から買わなくても時間つぶしにでも何かありそうで立ち寄ってきた。
確かに最近ではネットで購入することもできるので、それはそれで利用するがネットでは感じられない本屋独特の雰囲気がある。
ついでに隣の本をめくって見ることもできる。
いっぱい並んでいる本は何か元気を与えてくれる。
私は図書館にはまずいかないのでもっぱら本屋で気に入った本を買う。
確かにインターネットは便利でいいが、この世界はまた別の世界であって本屋とは違う。
今日、立ち寄った本屋も数か月前に「最近どんどん本屋が廃業しているけどおたくは辞めないよね」と確認したばかりである。
その時は「うちは辞めませんよ。これからもよろしく」と元気よく答えていたので安心していたが実際のところは大変だったんだなと思わざるをえない。
それにしても最近の人たちは本を読まなくなったのかそれともネットを利用しているのか分からないが本屋の経営が成り立たない状況になっているということは間違いない。
図書館で本を借りるのは返しに行かなければならないのでそれが面倒であるという横着さと、気になるところに線を引いたり書き込んだりすることができないのでそれが困るという、私にとってのデメリットがある。
学問の発展には本は絶対的に必要なものであったし今もそうであると思う。
それなのにどんどん本屋が消えていくということは残念だ。
なんだか昨日までそこにいた親しい人がどんどん何処かへ去っていくような寂しい気持ちになっていく・・・。
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もう冬か・・

毎年のことだがちょうどいいシーズンは非常に短い。
どちらかといえば春の方が楽しめる期間は長いように思う。
秋はあっという間に終わってしまいそう。
まだまだ紅葉はこのあたりでは始まっていないけれど朝夕は涼しさというより寒さを感じる。
熱燗シーズンの到来と喜んでいる。
酒は気の置けない人たちと勢いで楽しむことがいいと思っていた時代もあったけれど、今では少ない人数でゆっくり語りながら味わうということがいいなと思うようになった。
一人酒というのもまたいいものだと思う。
ただやけ酒の類は決してしたくない。                                              酒は全く美味くないし飲んでいる自分が益々惨めになってくる。
そんな時はやけになる話は忘れてじっくり酒を楽しむことに徹したい。
しかしながらこういう私は利き酒などほとんどできない。
ただ雰囲気で飲んでいるに過ぎない。
確かに最初の一口で美味い、辛い、などの感覚はあるが、それが酒を飲むことに大きく影響することはない。
多くは飲めないので酒を味わうのは最初の一時間ぐらいで十分である。そこから先はいつもながら勢いか惰性かのいずれかでしかない。
今や日付が変わるまでなどという飲み方はあり得ない。
最も自分自身でいいなと思う飲み方は、なんとなく後姿がわびしく見えるかもしれないけれど、小さな飲み屋のカウンターで魚料理を当てにして二合ぐらいをゆっくり飲むことだろうか。
少し頑張って隣に男性でも女性でも構わないが話に付き合ってくれる人が一人いれば十分かな・・。
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秋か・・・

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今日のお昼わが家のテラスで食事。
これまでの夏の暑さに代わって爽やかな風が吹き抜けていく。
庭木のシルエット越しに空を見上げると澄んだ青い空に白い雲。
九月と言えば夏であり秋である。
年によっては遅い夏、早い秋のこともある。
今日、女優樹木希林が亡くなったことを知る。
次第に我々の年代の人たちが旅立っていく。
そういう年になったんだと、いやがうえにも意識せざるを得なくなる。
新しい時代が流れていく。
われわれの意識では考えられない価値観や進化がどんどん進んでいく。
それらに遅れないようについていこうという意識はあるが、実際には難しく疲れることである。
そろそろ無理することは諦めて歩を緩めて自分の周りを静かに見てみることも必要ではないかと自問する。
常に精いっぱいのテンションで思いを伝えようとしてきたけれど、どうにもその努力の効果は思いのほか上がらない。
これらの現象はときに私を苛立たせる。
そんなとき、私もまだまだ若いなと自分をそれなりに認めてきた。
しかしながら、いつまでも同じことの繰り返しに大きく失望することもある。
それはおそらく私の期待が勝手に大きくなっているに過ぎないなのだろう。
ことにはそれぞれ、それなりのバランスというものがある。
人生を己の信念を通して生きていける人たちもいる。
かといってどう生きていくことがそうなのか私には残念ながらよくわからないし常に揺れ動く。
一歩も二歩も引いてゆっくりあたりを眺めて見る余裕を持とうと思いながら何かあればついつい近づきすぎてしまう。
それはそれなりにどうすればいいのかそのたびに状況が違っていて、うまくいくときもあれば自己嫌悪に陥ることもる。
振り返るとそんなことの繰り返しでここまでやってきた。
さて、果たしてこれから何がどうなるのやら。
期待もあれば不安もある。
だから、時の流れには刃向かわず、されど流されっぱなしにはならず、いくらかの存在感を意識することは諦めない。
秋っていうのは季節なのか人生なのか・・・・。
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想定外

様々な出来事が起きるたびに決まったように「想定外」という言葉が出てくる。
最近、豪雨や地震によって大きな被害が起きている。地震や豪雨は日本にとって特別のことではなくしばしば起きることである。
最近はこれまでの感覚ではイメージできない様々な現実が現れる。
そのたびにその関係者たちは異口同音にこれらは想定外の状況であると言う。
そう言っているのを聞くたびに、じゃあどれだけのことを事前に想定しているのかと尋ねてみたくなる。
思うに、事前に想定できるなどということは人が勝手にそんなふうに思い込んでいるだけで、自然の動きなどそう簡単にあれこれ明確に想定できるものではないはずである。
人の想定能力などほんのわずかのことしかできない。
それを文明の発達は、未来やどういうことが起きるなどを想定できると勘違いしてしまっている。
いかに緻密な数字を並べてみても、それらはあくまでも机上の計算数字であって決して現実ではない。
事前の想定数字はいとも簡単に打ち砕かれてしまう。
もとからそういう数字を具体的に並べることは、反対に人の心に勘違いや安心感を感じさせてしまって、いざというときにより大きな被害を呼ぶことにもなる。
あくまでも自然災害その他さまざまな出来事は人の予知できる範囲では収まらないことを認識することが大事である。
どんな計画も計算通り順調に進んでいくことはない。必ずどこかに障害や躓きは出てくる。
想定外という言葉は言い訳でしかなく、そこまで考えが及びませんでしたということでしかない。
だからどうすべきかを日々真剣に考える以外にない。
適当に格好だけつけて何事も起こらないことを内心で願うようでは想定外という言葉は使えないし使ってはいけない。
どこかで想定外という言葉は、響きのいい雰囲気言葉になっているように思う。

 

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なぜ同じパターン?

このところの様々な組織の不祥事の共通点は、その背景に中心人物の実力、実績、権力、独裁・・という決まったパターンを持っているように思う。
スポーツ界も政界もそのほとんどがどうも本来のその組織は誰のためのものなのかというもっとも単純で基本的な事柄が次第に意識されないようになるところから妙な方向に流れるのではないか。
この組織は経験も実績もあるこの私がいるからこそ上手く機能しているんだと思うようになる。
確かに様々な経験やコネクションは大きな効果を発揮したのだろう。
そのうち自分がすべてやっているんだという錯覚に陥りより権力的になっていく。
私のやり方に従わなければオリンピックにも行けなくなるよとか、政治の世界でも要職からははずされますよという脅しが微妙な形で発信されるようになる。
様々な意見が自由に発言されることがまずは民主主義の基本だが、権力者ににらまれれば将来に影響するということになれば次第に反対意見は少なくなり、権力者の思うようにことが運ばれるようになる。
これは決していいことではないが、ある面では組織としてはことがスムーズに運ぶということでもある。
その結果、より権力者の自己満足が強くなり、物の本質を大きく曲げてしまうことになる。
そして、自由な発言どころかみんなでトップの顔色を見るようになってしまう。
さあ大変です・・・。
権力は独裁を生み、それによって最後は賛成者以外の人たちを排除したり大きく惑わせることに繋がっていく。
進歩発展し様々な経験もしたはずの日本でこんなに時代錯誤の現象がいたるところで起きているということは嘆かわしいというより末恐ろしい。
権力を持つこと、そして権力にぶら下がることはその人たちから見れば非常に心地良いことなのだろう。
様々な業界に存在するヒエラルヒーは内側の実情が一般の人たちにはなかなか見えないから余計に権力指向が優先されるのだろう。
目的がより効果的に達成できるようにするための組織のはずであるから、必ずしも問題を伴うとは限らないが、その組織のトップに立ってしまうと、その心地良さについつい自分の権限をより大きく広げようとしてしまうのだろう。
そのあたりから公私のけじめや真摯な心がどこかへ押しやられてしまうことになる。
それが続けば、その周りには、道を間違えることがあればしっかり諫言できる人たちが次第にいなくなる。いたとしても次第に遠ざけられていく。
これは残念ながら非常に後ろ向きの現象であって、新しい発想や研究、方法など状況を客観的立場でどんどん変えていくことに対して消極的になっていく。
ただトップに立つ人の考え方だけが最優先されることになる。
こういう後ろ向きで限られた選択肢しか認められない状況は大いに改められなければならない。
真のトップとは、物も言う、行動もする、人の意見もしっかり聞く、そして自分の考えをとことん説明する。
その際、強権や詭弁やごまかしは一切しない。
そんなトップであるべきだろう。
そして、われわれもしっかり考え責任をもって物を言うようにしなければならない。
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人は一歩ずつ・・

アメリカ大リーグの試合を改めて意識してみるようになった。
それは野茂に始まり、イチロー、松井と続く日本人選手の活躍とはまた違った形での日本人選手大谷の登場にある。
スタートが彼らよりずっと若いがゆえに、ただ単にスマートで格好いい青年という感じで見ていたが、どうにもこの青年の純粋というか素直というかまさにストレートな心と外見から、それで十分にやっていけるのかという若干の心配心も出てくるような雰囲気でありながら、最も野球に必要な要素をほとんど備えているということがどんどん見えてきた。
イチローや松井のように毎試合出られない中で、これほどの存在感を発揮することは誰が見てももう応援するしかないと思わせてしまう魅力がある。
われわれはこういうヒーローが登場すると、その日その日の活躍にのみ注目するけれど、彼にとってはここまで来るにはそれなりの努力がなされたはずである。
外野席で楽しませてもらうにはそれでもいいけれど、さて果たして自分たちの状況を眺めてみると、日々どれだけの努力と前進がなされているのだろうかと不安になる。
インブルーもスタートしてから10年が知らぬ間に過ぎてしまった。
10年といえばかなりのことができていなければならない年月である。
ナッシュをスタートしたときは10年といえば最高の売り上げをあげていたころである。
時代の変化の中でデニムを中心とするこの業界もすでにピークをとっくの昔に通り過ぎてしまっている。
しかし、残念ながら次の時代の新しい流れがほとんど見えていない状態である。
われわれのデニムスーツはこれまでのデニム業界のデニムありきだとかジーンズありきの考え方から一旦意識を切り離してスタートしている。
それがいいことか悪いことかは問題ではなく、次の時代の次の流れを構築するためには必ずそういう状況を通り過ぎなければならないということを強く意識している。
それがどう流れを創りだすのかは明確には分からないが、日々一歩ずつ様々なことをとことん考えながら新しい道を切り開こうという意欲をもって進めば、そこには必ず新しい道が見えてくるということを確信している。
新しいことは前例がないということで、日々迷うのが当たりまえ。
だから、あれができないこれができないなどと立ち止まっていては何も解決できないし何も見えてこない。
それだけ難しいことなのかもしれないが、その時代の流れの中にインブルーとしての新しい流れ、あるいは新しい道筋を細くとも切り開くことができればこれは最高に嬉しいことである。
私にも10年を過ぎると残念ながら先を焦る気持ちが大きくなってくる。
そのために自分の考え方をスタッフたちに何としてでも伝えたいと思う。
その思いが強くなれば強くなるほど話の内容も厳しくなる。
人のことはあれこれ良く見えるもので、いかようにでも評論できるけれど、いざ自分のことになるとどうしても前に進まなくなってしまう。
私の経験が生かせるとすれば、こういうときほどあれこれ小理屈にこだわったり必要以上に心配したりせず一歩ずつでいいから必ず意識して前に出ることがよいことだ。
どんなに頑張ったとしても誰しも一歩ずつしか前には歩めない。
その結果、大谷選手ほどの輝きは発揮できないにしても、これまでの自分と比べると格段に違った輝きを発揮することができるはずである。
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至福のとき・・・

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つい先日(7日)新しい孫が元気いっぱいでやってきた。
わが三女についに赤ちゃんを授かることができた。
この2、3年結婚できるかどうかで悩んでいたことが全く嘘のように、すでにこうして子供ができるに至った。
何事も過ぎてしまえば、何もなかったようにことは淡々と進んでいく。
これまでに三人の孫をこうして抱いてきたが、今回は特に感慨深い。
三女もこれで姉たちと同じ家族の世界を持つことができたということで本当に一安心。
誰に似ているかなどいつものような話で盛り上がるのだが、私としては男の子であるということもあるけれど元気で走り回る活発な子であればいいなと思っている。
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夏は暑い・・では済まない・・

7月生まれの私にとっては、夏は大好きな季節だった。
半パンとランニングシャツ一枚で過ごせる、いとも気楽な季節だ。
夏休みともなると朝早くから夕方までいかにして遊ぼうかと考えていた。
今考えると確かに夏の気温も今のように30度をはるかに超える温度ではなかったと思う。
恐らく30度を超えるか超えないかぐらいだったのではないか。
外に出るときに必ず水分を持たなければだめなどとは言われたことはない。
水を入れる水筒などほとんど使ったことはない。
ただ、帽子をかぶるのを忘れないようにとはいつも言われていた。
歳を取ったということもあるが、今の暑さは本当に半端ではないと感じる。
朝8時を過ぎるとすでに30度を超えていて外での作業は要注意である。
地球が年々温暖化していくということだが、それは冬も合わせて年間気温が上がっていくということなのだろうか。
それとも冬は必ずしも暖かくなるということではなく雪が一挙にまとめて降ることが起きるということなのだろうか。
いずれにしても夏の暑さは毎年厳しくなっていることは間違いないようだ。
人の命に係わる暑さであると連日テレビ、ラジオから注意喚起のアナウンスが流れる。
暑さの厳しいのは一旦外に出てしまうと逃げ場がなく対応のしようがないところだ。
冬であれば暖かくなるよう服をしっかり着こむことでどうにかカバーできるが、暑さにはどうしようもなく服もこれ以上はどうにもならない。
エアコンのある場所にいるぐらいしかできない。
夏は暑いのは当たり前だ・・で済ませる範囲の暑さであって欲しい。
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