今と昔

私の末娘の結婚式に合わせて帰省していた孫たち。
今回はその関係もあり長期滞在になった。
それなりにあれこれ遊ぶことは沢山あるが、我々は盆休み以外は当然ながら仕事がある。
こと私に関して言うと、娘の結婚式が終わってなぜか気が抜けたのか珍しく風邪をひいたようで、38度近い熱が出た。
薬を飲めば熱は下がるのだが喉の調子が悪く痛みもあった。
そのうち声が出なくなって喋れなくなってしまった。
結局、盆休みの間中、熱と声に悩まされながら家から出られなかった。
それにしても暑い夏。
関東以北では気温が低かったり雨がよく降ったりと変則的な夏模様になっているようだが、このあたりではまさに夏の暑さの真っただ中である。
夏といえば家の中より家の外に出て遊ぶことが多かった昔が、今ではあまりの暑さに熱中症や日焼けに気を付けなければならない。
容赦ない暑さが迫ってくるのでそう簡単に外で遊ぶことも難しい。
蝉、カブト虫、クワガタ、トンボ捕り。
スイカやトマト、瓜などを井戸に浸けて冷やしたりしていた。
井戸は今でもあるが飲水に使うことはできない。
エアコンはなくて涼を取るには団扇がメイン。
それでも座敷の障子をすべて開くといくらかの風が通り抜け昼寝をするには十分涼しかったと思う。
土壁に土間が結構夏の暑さを防いでくれていた。
簾、縁台、風鈴は大して効果はないが今思えばなかなか風流だったなと懐かしい。
エアコンと清涼飲料水が今の時代を代表する。
私の子供時代が、電気がなくてもどうにか生活できたぎりぎりの時代だったようだ。
今は電気がなければ一日たりとも生活が維持できない時代になっている。
文明の発達は世界を明るく楽しくするけれど、いき過ぎてしまうと一瞬にしてその生活が破壊されてしまうというリスクを大きくすることにもなっている。
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松山英樹・・・

今日は朝3時過ぎから全米プロゴルフ選手権の最終日のテレビ中継を見た。
彼のこれまでの努力とその戦績からメジャー大会で何とか勝って欲しいと応援してきた。
誰もが言うようにいつ勝ってももおかしくないだけの力を付けていると私も思う。
しかし残念ながら結果は目標達成とはいかなかった。
こういう試合というのは見ていて息苦しくなる。
スタートホールのティーショットを打つまではこちらも緊張した。
第一打ナイスショット、そして第二打もナイスショットでいきなりバーディーチャンス。
このとき思った。
いきなりバーディーを取ればおそらく今日は優勝ありではないかと、もしこれを外すようであればかなり難しくなるのではないかと。
結果外してしまった。
まさに素人評論家らしく言うと、もしこれが全盛期のタイガーウッズだったらおそらくこれは軽々決めて自らその勢いを作っていっただろうと思う。
松山のこれからの大きな課題はここだろうと思う。
こういう強い精神力を要求されるスポーツの場合は、一ホール一ホールをしっかりプレイするという感覚が今の彼だろうが、そうではなく自分は勝つんだ勝つべくしてプレイしているという雰囲気を周りに感じさせることが大きな力になる。
そうするためにはこの一番ホールでのバーディーチャンスを楽々と取ることの意味と価値は非常に大きく、それができれば本当に強くなると思った。
本当に見ていて悔しくて残念だった。
それは本人が一番感じているところだろうが、試合の作為的過ぎない演出(イメージ)を自分の心の中に状況に応じてできるようになって欲しい。
今の日本では松山を凌ぐ選手はいない。
瞬間的には好成績を残す選手はいるかもしれないが世界の実力者が本当に一目置く選手は彼を置いて他にはいない。
ここにも真剣さと覚悟というキーワードが見えるような気がする。
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結婚式・・・・・

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結婚式・・・・華やかで希望に満ちたイベント。
これから全く新しい人生が始まる。
多くの人たちに祝福されてこれほど輝いて心に残るイベントは他にないだろう。
つい少し前までは全く知らない人同士が生活を共にするということはそれまでの人生観を変えるぐらいの重さがある。
光り輝く二人を見ながら、もっと大きな光を放つようになってほしいと願った。
すべて順調にすべて無事にイベントは終わった。
二人だけの写真にした。
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服を替えても・・

馬子にも衣装とは昔からよく言われた言葉。
きれいな衣装を身に付ければそれなりに美しくは見える。
そうなのだが果たして心の中まで変わるのだろうか。
内閣を改造してもそのトップにいる人が同じであればほとんど何も変わらないと私は思う。
君子豹変するごとく、悪いことに気が付けば即座に変えていくのが君子だと言われる。
君子たるチャンスはたくさんあった。
それができず最後は己の心より形だけを変化させて、いかにも変わりましたとアピールしても結局はその心の内は微動だにしないと思う。
周りからあれだけ厳しく指摘されながらそのことに全く耳を貸さなかった人がいきなり心を入れ替えることなどありえない。
それより己のやり方をとことんやり通すことの方が潔いのではないか。
うまくいかなくなったから皆さんの意向を入れてみましたでは情けない。
いずれにしても国民第一の心が抜け落ちていることに大きな問題があるわけだから、同じ人がそこにいる限りほとんど何も変わらない。
なぜなら組織とはトップの指示に従って行動することが基本だからである。
これまでも自分の都合優先で組織のメンバーを決め唯我独尊になってしまったので国家国民を敬うより己を主張することになった。
せめて国民と本当に腹を割って格好だけでなく真摯に話し合える度量を持ってもらいたいものだ。
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それを言ってはおしまい・・・

私はよくゴルフに行く。
ゴルフとは本当に面白いスポーツだと思う。
最近では70歳を過ぎているのでティーショットする場所がどんどん前に行く。
ティーマークの色がシルバー、ゴールド、レッドとその人の歳に応じてティーショットできる場所を選ぶことができる。
みんな年寄り扱いはされたくないはずなのだが、この時ばかりは可能な限り前で打とうとする。
確かにその方がいいスコアが出しやすいというのはよくわかる。
年齢や腕前に関係なく一緒に楽しめるスポーツということでは素晴らしいのだが、仮りに私より若いけれど前で打つ権利を持っている人が、私が同じ場所から打たないで少しでも後ろから打とうとすると困ってしまう。
それでもたいていの場合は人に気を遣うより自分の権利を行使することを選ぶ。
それでいて、そのほとんどの人は必ずどこかでこんなはずではなかった、このクラブでもっと飛んでいた・・と嘆いて見せる。
ゴルフは間違いなく物理学のスポーツだと思う。
昔の飛距離が今より長かったというのはその通りだと思う。
年取れば飛ばなくなる。
要はヘッドスピードがそれだけ落ちているというだけのこと。
とにかく言い訳は多くなる。
そのほとんどは、昔はこうではなかったということになる。
右に飛ぶのも左に飛ぶのも、大きく曲がるのもザックリもトップもクラブが悪いのではなく本人の打ち方がまずいという以外に理由はない。
しかしながらこれをそのまま言ってしまうともうこれは大変で、その場が険悪な雰囲気になる。
確かにいくら打ってもうまくいかないときはついついこのクラブが悪いのではないかと思いたくはなる。
ときになんで上手くいかないのだろうかと尋ねられることがある。
答えははっきりしている、ちゃんと当たってないからだと。
それ以外どう考えても原因はない。
だからと言ってそれをそのまま言えないのがゴルフ。
ちょっとタイミングが早かったからかな・・・。
ちょっと腰の開きがはやかったからかな・・・。
大丈夫次は上手くいく。
そのうちどれも言い尽くすと、今日はどうも調子がでてないなあ・・・。
今どきのクラブはわれわれ素人がどうこう文句をつけるほど妙なものはない。
ちゃんと打てばそれなりにちゃんと飛ぶ。
それがうまくいかないのはその人の腕前の問題でしかない。
しかしそれを言ってはおしまいなのだ。
接待ゴルフというのが昔からあるが、そこにはこの単なる物理的基本原理を全く本人に感じさせず、よいしょしていい気分にさせることだろう。
どう考えても正しいことであっても、はっきり言ってしまってはどうにもならない結果を引き起こすことになる。
ゴルフは4人の雰囲気が大切なので特に気を付けなければならない。
私にはそういうはっきり言いすぎるところがあると思う。
しかし実際にはそれを押し殺して「ナイスショット!」と叫ぶことにしている。
ゴルフとは真実を真実と言わず、いかにすべてを丸く収めて楽しく和気あいあいにすることができるかという心理的ゲームでもある。
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記憶にない

国会答弁でよく聞く言葉に「記憶にない」という表現がある。
私の歳で家庭の中でこういう表現をするとよく言われたものだ。
「お父さんボケが始まったのかなあ・・・」と。
ところが高学歴の優秀な人たちが口をそろえて「記憶にない」という言葉を頻繁に使う。
それを聞いただけでその人の人格を疑ってしまう。
われわれはそう言うだけで、もしかしたら認知症ではと疑われる。
絶対にあるわけない人たちが平気でこの言葉を使うということは一体どういうことなのか。
そんな聞かなくてもいいことをどうして聞くんだ、答える必要はないだろうという排他的で高圧的なイメージを受ける。
国の大きな責任ある仕事をする人たちが、この記憶力では国を任せられないではないか。
それでもこの言葉の出るときというのはほとんど決まっていて、簡単に言えば自分に都合の悪いときである。
本来公務員は国民の税金で国民のために仕事をしているのだから記憶にないで済ませることは全く業務に真剣ではないということだ。
こういうことは世界のどの国でも同じなのか日本だけの特徴なのか・・・。
せめて、しっかりした議論をすべきで、記憶にないという言葉でこれ以上の議論の進展を拒否することは国民に対して失礼極まりない。
都合が悪くなれば何も言わないなどというのは品位も能力も人の上に立つだけのものが備わっていないということでしかない。
記憶にないで世の中上手く生きていくことが許される社会は決して良くはない。
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慣れ

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先日から本社の屋根、壁、アプローチその他をきれいに磨き直したり塗り直したりと手を入れている。
そのきっかけは、あまりにも板壁が黒くなっていたのでこれを何とかしたいと思ったことがきっかけ。

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なんとなく気が付いていてもなかなか実践するには時間がかかる。
それでもこうして一目瞭然に状況の変化を見てしまうと、これは放っておくわけにはいかなくなる。
まず最初は一階の屋根のぺンキ塗りに始まったわけだが、どんどん広がって今や二階の屋根の塗り直しにまでいたってしまった。
しかしながら、当初は屋根の上は非常に高く感じられかつ苔むしていたり砂が積もっていたりして滑りやすく実際に危険を感じた。
それでも命綱の設置方法を考え、高圧洗浄機を運び上げきれいな状態に洗い落としていくと次第に足場はしっかりしてきた。
油断は大敵だが不思議なもので足がすくんでいく感覚が次第になくなって、むしろ高いところの作業が気持ちよくなってきた。
近所の人たちもあれこれ心配してくれているようで、熱中症の危険もあるので、いい年寄りがあまり無理しない方がいいと忠告もしてくれる。
自分自身の性格から、一度やろうと思ってしまうと何としてでもやってしまおうとする。
確かに専門の業者に依頼すればいいのだろうが、この状態の作業になればかなり大掛かりな足場づくりからやらなければならないので、それなら少々時間がかかっても自分でやろうと思った。
怪我をしては最もよくないので安全には細心の注意を払っている。
滑らない作業長靴と命綱も準備している。
作業は最後の屋根の塗装に入っているが、各面を二度塗りするにはかなりの時間がかかるので、この一番暑い時季を少し外して秋までに終える作業ということにした。
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商売魂

日本では昔から商売という言葉が中心だったが今ではビジネスという言葉も多く使われるようになった。
商売は、商い=飽きないという言い回しで長く続けることが大切であると言われてきた。
それでも商売人という言葉にはどこか儲けという意味合いが強く含まれているようにも思われる。
各地域にはその商売をする上での心構えのような精神訓などが多く伝えられている。
しかし最近はブラック企業だとかサービス残業というふうに悪い意味でのイメージがいまだに残っているようでもある。
私は常に商売は弥次郎兵衛だと思っている。
商売は売ることだけで成り立っているわけではなく、仕入れがあって初めて成り立つ。
ところがその企業の力が大きくなっていくとどこかに企業ありきという風潮が強くなっていく。
売り先にも仕入れ先に対しても強くなって弥次郎兵衛の頭の部分になってしまっている。
私の言う弥次郎兵衛とは頭や体を支える心棒の部分である。
それぞれの会社が仕入れ先と売り先を同じように大切にすることが長く続く商売の基本だと思っている。
ところが時代が変わり流れも刻々と変化するようになると、とにかく目先の商売で儲けようとする会社が多く目に付くようになる。
私の回りにも様子が大きく変わった会社がある。
細かい経費や手間賃をどんどん請求してくるようになる。
何度か追加注文するとそのたびに価格は一方的に上げてくる。
それなりに品質や納期がしっかりしていればまだいいがそれすら安定しないで、常に相手の言い分だけが主張される。
そこには自分たちだけしかできないんだから、嫌なら買ってもらわなくてもいいというおごりが感じられる。
自分たちだけしか作れないのであればプライドを持つことは決して悪いことではない。
しかしながら取引の条件にその思いが現れるようになるとバランスは大きく崩れる。
様々な業界にこういう間違った自信と意識が広がってくることは決していいことではない。
自然とそういう仕入れ先からは遠のいていかざるを得ない。
それが時代の変化や景気の厳しさによるものではなく、どうも商売に対するもともと持っている魂なのだと私は思っている。
昔から商売は安く仕入れて高く売れと言われてきた。
それは商売の大切な基本だと思うが、数量を売ろうと考え始めたときからその関係が変化して、数を売るから安くしてくれと言い始めるようになる。
安くすることが成長の必要条件のようになってきた。
情報が多くなるとどうしても影響されやすい情報も多くなる。
こういうときほどしっかりした考え方を持っていなければならないと思う。
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取材

NHK取材

先日テレビの取材があった。
私自身が主になるテレビの取材は久しぶりなのでちょっと調子の取り方が中途半端になったような気がする。
それでもことNHKテレビということで頑張った。
意識の持ち方が数年前とは変わってきたことを感じる。
ほとんどの場合何をどのようにしゃべろうかとあれこれシュミレーションはするけれど、どうもこのたびはどういう形の取材になるのかなど事前によくわからなかった。
いきなりディレクターから「なぜデニムスーツなのですか」との具体的なようでほとんど大雑把な問いに、どこからどこまでをどんなに話せばいいのかと瞬間に私の頭の編集回路を回転させなければならなかった。
よくあることだが相手の意識に沿った話をすべきなのか、あくまでこちらの思いを話せばいいのかについて判断に迷う。
当然ながら取材は番組の趣旨に則って進められているのでこちらの思いとは必ずしも同じにはならない。
全体のテーマに基づき数社の取材による編集がなされるので数か月後の放映を楽しみにすることにするしかない。
取材が終わった後、いつものことなのだが妙なテンションダウンを感じてしまう。
それがどういう理由なのかは分からないが、どうも自分がしゃべった内容に自己満足どころか反対に、どうしてもう少し上手くしゃべれないんだろうかという自己反省的な感覚が強いように思う。
これから先こういう機会はもうないかもしれないが、格好良く上手く振る舞うことよりも何を言いたいのかがはっきりしている方がいいと思う。
インブルーはあくまでもインブルーとして存在していくことが一番大切なことだと改めて思う。
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鶏が先か卵が先か

世の中にある紛らわしい疑問の一つに「鶏が先か、卵が先か」という話しがある。
真剣に考える向きもあるかもしれないがそんなのどちらでもいいと私は思う。
要はどちらが先でもすでに流れは出来上がっているわけで、鶏も卵もどちらもわれわれの食生活には切り離せない重要な位置づけであある。
東京都議会選挙が終わってそれなりの結果が出た。
大きく流れが変わってきたことの一つは、この鶏と卵の話しと同じで、都民が重要かその政治を取り仕切る政党が重要かという理論の見極めがなされたと言える。
国民のためと言いながら政党もしくは首相の意思ありきという考え方とほとんど同じだろう。
この考え方で行けば本当に国民のことを考えてないということが次第に見抜かれ始めていることになる。
人の発言は十分に聞かず、気に入らなければその発言を野次っておきながら、反対に周りから野次られるとそれをことのほか意識して野次ることそのことに攻撃の目を向ける。
どう見ても大人げないし自分の思いのままに行かなければ駄々をこねる子供とあまり違わない。
日本は世界の中でも先進国と言われているはずだが、どうも近年その歩みはどことなくおかしくなっている。
周りを固める人たちもその視線が近視眼的になっていて深謀遠慮などとは程遠い。
どうしてこういう事態になっていくのか。
あまりにも情報が多いことと、その情報に影響される人も多いという現代病の一つが顕著になっているように思う。
立場や権力を持つと情報の操作をうまくやれば周りの人たちを簡単にコントロールできると勘違いしやすくなる。
だから本来どうでもいい鶏と卵の話しをさももっともらしく議論することである種の雰囲気づくりを行っている。
二三歩距離を置いて眺めてみるとこのトリックに簡単に気づくと思うのだが。
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