辛抱

何事も一朝一夕には成就できない。
物事を成そうとすればそれなりの時間や努力は欠かせない。
その瞬間、上手くいきそうだと思えても決して現実はそう甘くはない。
しかし情報が多い今の時代、実際とは異なる状況が勝手にできあがっていく。
それらのほとんどは勝手な評価であったり予想だったりすることが多く、単なる評論家の安易な分析であったりする。
そのためにあまりにも簡単に勘違いを促すような状況や要素が生まれる。
石橋をたたいて渡るぐらいの慎重さと準備が必要だろう。
仮に上手くいかないとしても決して諦めることなく努力を続けるべきで簡単に小手先で誤魔化すことはしてはならない。
辛抱とは目的を持っていることが前提でなければただ単に苦しいだけでしかない。
辛さを抱え込むということであるからそれなりの覚悟と目標がなければならない。
目標達成に5年かかるかもしれないし10年かかるかもしれない。
それでも諦めない強い心がなければ辛抱することは早々にやめたほうがよいだろう。
ただ辛抱とは何なのかが分からないまま己の都合であれこれ理屈を言ってしまう人たちも多い。
少なくとも3年5年は真剣に全力で頑張ってみるべきだろう。
辛抱とは辛さとの闘いであるけれど、その結果その人にとっての独自の味わいが生み出される。
そのときこそ辛抱の甲斐があったということだろう。
広告
カテゴリー: Uncategorized

有言実行

日本人の美徳として、昔は不言実行ということが男としてはいいことなんだと聞かされてきた。
あれこれ言うより、黙ってやることをしっかりやれということである。
ところが近年になると不言実行より有言実行の方がはっきりしていてわかりやすいということになっている。
確かに不言実行というのは言葉先行ではなく控えめでいいともいえるが、結果がどう出るかによっては考え方がどこにあったのかが分からないために評価の仕方がない。
そうかといってあまりにも有言すぎると、果たしてどこを信じて何をどう期待すればいいのかが微妙にもなる。
勢いよく大声で旗を振ることは一見勢いがあっていいようだが、その勢いを最後までどのように維持できるか、そしていかなる成果を上げることが出来るのかが非常に大切になる。
もしも途中で勢いがしぼんでしまうと一気に評価が変わってしまうことにもなる。
俗に策に溺れすぎるとこういうことにもなる。
周りの人に多くを期待させていながら結果としては成果が何もない。
有言だろうが不言だろうが最も大事なのはやるべき人がやるべきことを確実に成果を上げてやり抜くことだ。
有言不言は一つの状況であって結果とはあまり関係ない。
それらはその人のある種の個性であって、勢いをつけるための掛け声のようなものだろう。
それでも周りの人たちにとって心地よいのは間違いなく有言実行であろう。
考えていることも実際にやることも、そしてその結果もすべてがオープンになるわけだから見ていても聞いていても心地よい。
ところが最近は有言でも不言でもどちらであっても、どうにもその成果がはっきり見えないということが多いのではないか。
小気味よい切れ味の有言実行派のリーダーが今こそ必要なときではないかと思う。
カテゴリー: Uncategorized

なんでこうなるの・・・

久しぶりに大阪出張した。
実のところあまり気の進まない商談。
こういうときは何かとうまくいかないことが多い。
この間から右足の親指の付け根あたりが赤く腫れてとても痛い。
歩くのがとても大変。
仕事だから少々足が痛くてもそんなこと言ってられない。
頑張って出かける。
車で駅まで行く間にまず第一の奇妙が起きた。
右に曲がる交差点を過ぎたところで前の左車線を走る軽トラが右のウインカーをそのまま点滅させている。
なんだこのおじさんは・・。
年取るとこういうことがよくあるんだよな・・・。
延々一キロ、私は軽トラを気にしながら追い抜いた。
見るとそれなりの年寄り・・・。
やっぱりこういう人は良く忘れるんだよな。
ぶつぶつ言いながらその先の交差点で私はまた右に曲がる準備に入った。
ふと気が付いた。
私の車のウインカーレバーは右方向になったままではないか。
ということは軽トラのおじさんをあれこれ言っている私自身が全く同じだったということだ。
この瞬間私の頭の中はそのだめなおじさんさん以上にダメな自分を見なければならないことになった。
それでも気を取り直して駅の改札で切符を買ってプラットホームへ。
そのときスーツが妙に軽いことに気づく。
右のポケットにはちゃんと財布はある。
左のポケットが軽い。
いつもあるはずのものがない・・・。
携帯電話(スマホ)がない・・・。
すべての情報がスマホにあるわけだからこれはどうしょうもない。
どこに置き忘れたか考えるだけで頭がパニックになる。
電車に乗って席に座ってもどうも落ち着かない。
特別スマホ人間ではないはずだと思っていたが手元にないということはなぜかいつもと違う。
今日の予定も見ることができない。
それでもなんとか大阪に着いた。
アポイントは二時なのでそれまでメンズショップをあれこれ視察。
昼過ぎとなって昼食をとるために入った居酒屋レストランでこれまた大変。
折角の食事中にみそ汁のお椀をひっくり返してしまった。
私のジャケットも鞄も椅子もみそ汁で汚してしまう。
朝から一度二度と嫌なことが起きていたので三度目のよくないことが起きなければいいがと注意はしていたのだがいとも簡単に二度あることは三度あるとなってしまった。
それでもありがたかったのは、そこのウエイトレスがとても親切であれこれ気を使ってくれたことだ。
ありがたかった。
新しい味噌汁を持ってきてくれかつ別の席に移動させてくれた。
恐縮してお礼を言いながら、食事はすべて残さずいただこうとしたが刺身についてあったわさびまでまとめて食べてしまいしばらく涙ぐむことになった。
それから目的地に行こうとしたが、そのビルの位置が一度は行ったのだがよくわからない。
普通ならスマホでいとも簡単に確認できるのだがそれができない。
仕方ないのでたまたま見つかった書店に入って地図帳を探したが、最近は昔のように様々な地図帳が売ってない。
ほとんどスマホで事足りるようになっているので仕方ないことなのだろう。
やっと一冊の地図帳を見つけて位置確認をした。
それでも会社に連絡を入れないと私と連絡が取れないということでもしかすると混乱させているかもしれないと思った。
さて公衆電話がない。
それに電話用の小銭を持っていない。
テレホンカードなどとうの昔にない。
仕方ないので自動販売機で缶コーヒーを買った。
小銭はできたのだが電話がない。
と同時に飲み終えた空き缶を捨てるところがない。
そのあたりに勝手に放り捨てるわけにはいかない。
新たに自動販売機をやっと見つけ、そのそばにある缶の回収箱にやっと捨てることができた。
それでも電話がない。
そうしているうちに目的地に到着してビルの警備員に聞いた。(実際には目的地をかなり通リ過ぎて戻っていた)
このあたりに公衆電話はありませんか。
しばらく考えて教えてくれた。
隣のビルの地下一階の禁煙室の隣に一台だけあります。
何とか見つけやっと会社に連絡。
一瞬どうやって電話すればいいのかと思ってしまった。
あれやこれや散々の目にあった。
便利なことはとてもいいことなのだが、どこかでその流れを失ってしまうと散々な目に合うということも覚悟しておかなければならない。
とりあえず商談は最悪ではなく何とかいい方向の話ができたので一安心・・・・。
足痛も含めて疲れた・・・・。
カテゴリー: Uncategorized

秋の風

この時季は暑さと寒さが混ざり合って日々の変化が大きい。
朝夕上着が必要だったり、ちょっと体を動かすとしっかり汗ばんだりと、その変化に気を付けなければならない。
夏好きの人たちにとってはとても寂しさを感じる時季だろう。
このところは冬の寒さも変化してそれほど厳しさは無くなってきた。
わが家にも秋の味覚である柿や栗がたくさん実った。
昔と違ってあまり今の若者たちはこれらの実を積極的に採ろうとはしない。
大体において畑や山に入って行くことがすでに日常ではなくなっている。
自然の中にたくさんの恵みがあるけれど今では欲しいものを欲しいだけ欲しいときに買えばいいと思っている。
そして、太陽の沈む時間がどんどん早くなり暖かい鍋やおでんなどが熱燗の友になる。
運動会、秋祭りが今たけなわで、孫たちの画像がどんどん送られてくる。
われわれも四国遍路があと5ヶ寺となり近いうちにお参りして満願成就となる。
一年がこんなのんびりしたことで動いていけばそれが一番いいが、なかなかそうはいかないのだろう。
秋風はどことなく寂しきものなり・・・。
カテゴリー: Uncategorized

何が何だか・・・

このところの日本の政治は何が何だか分からない。
単純明快を旨としてきた私としてはあまりにもあれこれややこしくて理解不能に陥っている。
ゴルフでもよくあることだが、アドレスに入って打つ瞬間までのわずかの間に、それまでの上手くいかなかった状況を考えどう打てばいいかなどと考えを巡らしていると大体決まって大きなミスショットになってしまう。
一番いいのはただ何も考えずいつもの通りクラブを上げて単純に振りぬけばいい。
それがあれこれ状況が悪くなるとついつい考えてしまう。
それにしても国の政治は何をどうしたいのかが全く分からなくなっている。
政治家は己のために考え行動するのか、国民のために考え行動するのか、この単純明快な問題さえ見失われてしまっている。
北朝鮮問題や教育の無償化が国会解散して国民に問わなければならない問題なのか・・・。       国会でしっかり審議すればいいことではないのか・・。
あまりにもこういう低空飛行を続けていると想定外の、それも普通に考えれば十分避けられるたわいもない障害物にさえ衝突してしまうのではないかと心配になる。
カテゴリー: Uncategorized

東京一極集中

国の根幹は政治と経済。
そして国民の平和と安心の確立。
毎年の国家予算は赤字額をどんどん増やしながら総額は増え続けている。
そうしなければ国が機能しないような雰囲気を作り出している。
実際にそうなのか。
少子化が絶対的悪なのか。
様々な常識的問題とされていることも本当のところどうなのかわからない。
世界の中で幸福度の高い国は大体において人口(人口密度)の少ない国だ。
人口が多ければそれだけ活力も出るだろうが費用もかかる。
しっかりしたバランス感覚がなければ必要予算は勝手に増えていく。
国の人口バランスや人口分布(地域)も大きく関係してくる。
今や世界に類を見ないほど日本の場合は東京一極集中という現象がどんどん強くなっている。
将来の日本を設計するには、この人口のバランス、都市間のバランスをしっかり考えなければ近い将来大きくバランスを崩すことになり、いびつな現象が国のあり方さえ変えてしまうことになってしまう。
そのうえ、政治の中心と経済の中心が同じであるということは心臓と脳がくっついた状態ということであり何かの衝撃で両方が一度に機能不全に陥る可能性も高くなるわけで非常に怖いことである。
日本イコール東京という図式もそろそろ変革していかなければ世界の変化に対して対応していけなくなるだろう。
地方創生と叫ぶ人たちは東京のど真ん中にいる。
何事を進めるにしてもまず東京である。
中央集権化はどんどん激しくなっていく。
だから国の隅々まで目は届かないし、本当の国民の苦労など政府は把握できない。
事務的に出てくる数字を眺めて景気は回復しているなどと能天気な判断になってしまう。
どんな人も茶の間で南極の厳しさは体感できない。
数字や画像だけで何がわかるだろうか。そこにいる人でなければ不可能である。
根本的に姿勢や仕組みを変えるときが次第に迫っているのではないか。
カテゴリー: Uncategorized

練習しない・・・

以前にも書いたが、練習しないでゴルフがうまくなる方法を今や実践中。
このところ非常に調子いい。
以前、一応メンバーになっていたゴルフ練習場が廃業してしまった。
練習はしていないのであまり関係はないのだが、それでもいざというとき近くに練習場があればとりあえずは安心できる。
それなりにうまい人は練習しなければ不安のようで、遠くても何とか練習場に行かなければならないようだ。
私はとりあえず家にマットだけ置いて気が向けば素振りをすることにしている。
それでもコースに行くことが練習である。
あれこれ考えて力んでしまうのがわれわれ素人の決まった問題点である。
だからいかに力を抜くかが大切なのだがそれが実際には非常に難しい。
力がないのに力を入れる。おかしな話だ。
力がなければないなりにゆったり振ればいいではないか・・・。
ところが、どうしても力を入れたほうがそれだけよく飛ぶはずと思い込んでいる。
最近はそのあたりが変わったところかもしれない。
以前は歳の割に力一杯振ることが周りの人にアピールできると思っていた。
しかしご存知のようにゴルフは上がってなんぼのスポーツである。
コツコツ打って上がればパーの人と、目一杯振り回して上がるとボギーかダボ・・・。
これはどちらがいいのかはスコア重視なら歴然としているのだが、それでもなぜか振り回してしまう。
ゆっくり確実に、よくボールを見て、慌てずアプローチして、よく狙ってパットする。
これだけでなぜかパーかボギーで上がれるようになる。
プロではないので楽しむことが第一であればそれほどむきになることはない。
これは理屈では誰しも簡単に理解することなのだが、いざクラブを握ってボールの前に立つと性格がいとも簡単に変わる。
いやそうではなく逆に本来の性格が出るということだ。
ゴルフぐらい人の性格が表に出るスポーツはないといわれる。
練習しなければしっかりボールをとらえることは確率的に難しいが、それでも空振りすることはないのでコツコツボールをよく見て打っていけばそれなりのスコアになる。
とにかく80台で上がることを意識していけばいいと思う。
カテゴリー: Uncategorized

なんでも無償はいいことか?

日本の政治政策の中に一般の国民の受け狙いなのかそれがいいことだと考えているのか分からないが、様々な公共的な費用を無償にするという話しが非常に多いと感じる。
確かにどんなことでも安いあるいは無償ということはありがたいと感じるだろう。
特に学校の授業料や給食費の無償化はごく一般的で親の立場から言えば非常にありがたいことなのだろう。
ただ特に教育というのは人間の人生における最も大事なことで、安易に無償にすればいいものだとは私は思わない。
みんなが平等に無償であればそれが一番いいことだと考えていると、子供たちが物の大切さやそれらの物を手に入れることの大変さを身をもって学ぶことの機会を失ってしまう。
楽をして得るものは非常に少ない。
思考力、判断力、計画性、忍耐力、協調性・・・その他人間として持っておかなければならない基本的な能力を身に付けるための機会が不十分になってしまう。
それによって短絡的な判断に偏っていくことは明らかである。
ましてや世の中には得体の知れないネット社会が拡大していて、本質的な考え方や行動が、バーチャルでありながらリアルに存在する感覚で溢れかえっているため本当の筋の通った考え方や理論は育ちにくいと思われる。
費用は安いに越したことはないが、無償ということは決して人を強くすることにはならないと実感している。
昔から「ばらまき政治」と揶揄されてきたことが無償という言葉をうまく使うことで同じような現象を起こしていると思う。
無償、補助金その他真剣に努力することを省略しては強い思考力や行動力は育たない。
これからの日本の未来を背負う若い人たちは温室の中からは決して育たないことを肝に銘じておかなければならない。
苦労、努力することの価値をどうやって伝えていくかが本当は大切なことだと思う。
人は歩き始めれば、まず転んで膝をすりむくことから自分を知っていくはず。
カテゴリー: Uncategorized

お礼参り

IMG_1318IMG_1316
この一か月少々は非常にあれこれと忙しく過ぎた。
考えてみれば、あれだけどうなるのかと先のことが見通せず悶々としていたことが、何とか上手くいってしまうと何をそんなに悩んでいたんだと不思議に思えてしまう。
三人娘の中で最もそのタイミングが遅くなった末娘の結婚が無事に終わってしまえば、それを心から望んでいたはずではあるが、急に何かが抜け落ちたような感覚になるのは何とも言えない妙な気分である。
それはそれとして、その前に何度かいい縁がありますようにとお参りした出雲大社にやっとお礼参りをすることができた。
予定していた日はあいにくと台風18号の影響で動きが取れなかった。
今日は台風一過で晴れとなったために急きょ出かけた。
家内の希望で、せっかくだから昼食は松江でうなぎ料理を頂こうということになった。
時間的には出雲大社にお参りする前に腹ごしらえをするほうがいい時間だった。
ところが、どうしてこうも運が悪いのかというように、やっと見つけたお勧めのうなぎ料理屋は無情にも「本日定休日」の看板が掛けられていた。
出雲大社にお参りするときはなぜかコンディションがいつもよくない。
これまでも、雨が降ったり雪が降ったりと結構冷たくされている。
我々がそうだったからこそ娘にいい縁を授けてくれたのだろうと勝手に思っている。
これでまた一つ心の中がすっきりした。
カテゴリー: Uncategorized

覚悟が足りない

最近は国の最高機関にいる人たちのあまりにも稚拙な出来事が多すぎる。
厳しいけれど彼らには自分の仕事、立場に関しての覚悟がなさすぎる。
特に大きく勘違いしているのは、娯楽で成り立っているテレビのワイドショーレベルに同化していながら、何の疑問も感じないという志のなさ意思の弱さを人気者レベルで考えているということだろう。
これではまだ昔の人たちのほうが政治に対する志は明確ではなかったかと思う。
アメリカも決して褒められる状況にはないが、いくらアメリカ追随型であるにしてもこういう低レベルの在り方まで真似することはない。
もう少し日本人として己を律する心はあって欲しいものだ。
人間としての理性も責任感もない人たちが国民の前で何を語ろうとするのか。
ましてや日本の将来を背負っていかなければならない立場にいながら心は己の小さなプライドのなかに閉じこもってしまっている。
これは政治の世界だけではなく身近な我々の企業でも同じことが言える。
自分たちの将来と会社の発展とを真剣に考え覚悟して仕事に当たればそれだけで単純に20%ぐらいの成果アップは実現できる。
あまりにも多くの情報の中で妙に客観的になり過ぎて、果たしていったい自分は今どこに立っているのかさえ把握できない状況を自ら作り出してしまって、結果その中で悶々としている。
突如、部屋に開いた窓から迷い込んできた小鳥が、入ってきたはずの出口が見つからずバタバタと飛び回っている姿によく似ている。
人は落ち着いて自分の置かれた状況を冷静かつ真剣に考えてみれば、何をすべきかはそれほど難しくなく見つけられるはず。
何をそんなに慌てるのか、何をそんなに難しく考えるのか・・・。
自分のすべき役割をしっかり理解していればどんな苦境に立ったとしてもおのずとその解決策は見えてくる。
もし、うまくいかないとしたら、本気でその方法を実践するだけの覚悟が足りないのだろう。
カテゴリー: Uncategorized