東京一極集中

国の根幹は政治と経済。
そして国民の平和と安心の確立。
毎年の国家予算は赤字額をどんどん増やしながら総額は増え続けている。
そうしなければ国が機能しないような雰囲気を作り出している。
実際にそうなのか。
少子化が絶対的悪なのか。
様々な常識的問題とされていることも本当のところどうなのかわからない。
世界の中で幸福度の高い国は大体において人口(人口密度)の少ない国だ。
人口が多ければそれだけ活力も出るだろうが費用もかかる。
しっかりしたバランス感覚がなければ必要予算は勝手に増えていく。
国の人口バランスや人口分布(地域)も大きく関係してくる。
今や世界に類を見ないほど日本の場合は東京一極集中という現象がどんどん強くなっている。
将来の日本を設計するには、この人口のバランス、都市間のバランスをしっかり考えなければ近い将来大きくバランスを崩すことになり、いびつな現象が国のあり方さえ変えてしまうことになってしまう。
そのうえ、政治の中心と経済の中心が同じであるということは心臓と脳がくっついた状態ということであり何かの衝撃で両方が一度に機能不全に陥る可能性も高くなるわけで非常に怖いことである。
日本イコール東京という図式もそろそろ変革していかなければ世界の変化に対して対応していけなくなるだろう。
地方創生と叫ぶ人たちは東京のど真ん中にいる。
何事を進めるにしてもまず東京である。
中央集権化はどんどん激しくなっていく。
だから国の隅々まで目は届かないし、本当の国民の苦労など政府は把握できない。
事務的に出てくる数字を眺めて景気は回復しているなどと能天気な判断になってしまう。
どんな人も茶の間で南極の厳しさは体感できない。
数字や画像だけで何がわかるだろうか。そこにいる人でなければ不可能である。
根本的に姿勢や仕組みを変えるときが次第に迫っているのではないか。
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練習しない・・・

以前にも書いたが、練習しないでゴルフがうまくなる方法を今や実践中。
このところ非常に調子いい。
以前、一応メンバーになっていたゴルフ練習場が廃業してしまった。
練習はしていないのであまり関係はないのだが、それでもいざというとき近くに練習場があればとりあえずは安心できる。
それなりにうまい人は練習しなければ不安のようで、遠くても何とか練習場に行かなければならないようだ。
私はとりあえず家にマットだけ置いて気が向けば素振りをすることにしている。
それでもコースに行くことが練習である。
あれこれ考えて力んでしまうのがわれわれ素人の決まった問題点である。
だからいかに力を抜くかが大切なのだがそれが実際には非常に難しい。
力がないのに力を入れる。おかしな話だ。
力がなければないなりにゆったり振ればいいではないか・・・。
ところが、どうしても力を入れたほうがそれだけよく飛ぶはずと思い込んでいる。
最近はそのあたりが変わったところかもしれない。
以前は歳の割に力一杯振ることが周りの人にアピールできると思っていた。
しかしご存知のようにゴルフは上がってなんぼのスポーツである。
コツコツ打って上がればパーの人と、目一杯振り回して上がるとボギーかダボ・・・。
これはどちらがいいのかはスコア重視なら歴然としているのだが、それでもなぜか振り回してしまう。
ゆっくり確実に、よくボールを見て、慌てずアプローチして、よく狙ってパットする。
これだけでなぜかパーかボギーで上がれるようになる。
プロではないので楽しむことが第一であればそれほどむきになることはない。
これは理屈では誰しも簡単に理解することなのだが、いざクラブを握ってボールの前に立つと性格がいとも簡単に変わる。
いやそうではなく逆に本来の性格が出るということだ。
ゴルフぐらい人の性格が表に出るスポーツはないといわれる。
練習しなければしっかりボールをとらえることは確率的に難しいが、それでも空振りすることはないのでコツコツボールをよく見て打っていけばそれなりのスコアになる。
とにかく80台で上がることを意識していけばいいと思う。
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なんでも無償はいいことか?

日本の政治政策の中に一般の国民の受け狙いなのかそれがいいことだと考えているのか分からないが、様々な公共的な費用を無償にするという話しが非常に多いと感じる。
確かにどんなことでも安いあるいは無償ということはありがたいと感じるだろう。
特に学校の授業料や給食費の無償化はごく一般的で親の立場から言えば非常にありがたいことなのだろう。
ただ特に教育というのは人間の人生における最も大事なことで、安易に無償にすればいいものだとは私は思わない。
みんなが平等に無償であればそれが一番いいことだと考えていると、子供たちが物の大切さやそれらの物を手に入れることの大変さを身をもって学ぶことの機会を失ってしまう。
楽をして得るものは非常に少ない。
思考力、判断力、計画性、忍耐力、協調性・・・その他人間として持っておかなければならない基本的な能力を身に付けるための機会が不十分になってしまう。
それによって短絡的な判断に偏っていくことは明らかである。
ましてや世の中には得体の知れないネット社会が拡大していて、本質的な考え方や行動が、バーチャルでありながらリアルに存在する感覚で溢れかえっているため本当の筋の通った考え方や理論は育ちにくいと思われる。
費用は安いに越したことはないが、無償ということは決して人を強くすることにはならないと実感している。
昔から「ばらまき政治」と揶揄されてきたことが無償という言葉をうまく使うことで同じような現象を起こしていると思う。
無償、補助金その他真剣に努力することを省略しては強い思考力や行動力は育たない。
これからの日本の未来を背負う若い人たちは温室の中からは決して育たないことを肝に銘じておかなければならない。
苦労、努力することの価値をどうやって伝えていくかが本当は大切なことだと思う。
人は歩き始めれば、まず転んで膝をすりむくことから自分を知っていくはず。
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お礼参り

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この一か月少々は非常にあれこれと忙しく過ぎた。
考えてみれば、あれだけどうなるのかと先のことが見通せず悶々としていたことが、何とか上手くいってしまうと何をそんなに悩んでいたんだと不思議に思えてしまう。
三人娘の中で最もそのタイミングが遅くなった末娘の結婚が無事に終わってしまえば、それを心から望んでいたはずではあるが、急に何かが抜け落ちたような感覚になるのは何とも言えない妙な気分である。
それはそれとして、その前に何度かいい縁がありますようにとお参りした出雲大社にやっとお礼参りをすることができた。
予定していた日はあいにくと台風18号の影響で動きが取れなかった。
今日は台風一過で晴れとなったために急きょ出かけた。
家内の希望で、せっかくだから昼食は松江でうなぎ料理を頂こうということになった。
時間的には出雲大社にお参りする前に腹ごしらえをするほうがいい時間だった。
ところが、どうしてこうも運が悪いのかというように、やっと見つけたお勧めのうなぎ料理屋は無情にも「本日定休日」の看板が掛けられていた。
出雲大社にお参りするときはなぜかコンディションがいつもよくない。
これまでも、雨が降ったり雪が降ったりと結構冷たくされている。
我々がそうだったからこそ娘にいい縁を授けてくれたのだろうと勝手に思っている。
これでまた一つ心の中がすっきりした。
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覚悟が足りない

最近は国の最高機関にいる人たちのあまりにも稚拙な出来事が多すぎる。
厳しいけれど彼らには自分の仕事、立場に関しての覚悟がなさすぎる。
特に大きく勘違いしているのは、娯楽で成り立っているテレビのワイドショーレベルに同化していながら、何の疑問も感じないという志のなさ意思の弱さを人気者レベルで考えているということだろう。
これではまだ昔の人たちのほうが政治に対する志は明確ではなかったかと思う。
アメリカも決して褒められる状況にはないが、いくらアメリカ追随型であるにしてもこういう低レベルの在り方まで真似することはない。
もう少し日本人として己を律する心はあって欲しいものだ。
人間としての理性も責任感もない人たちが国民の前で何を語ろうとするのか。
ましてや日本の将来を背負っていかなければならない立場にいながら心は己の小さなプライドのなかに閉じこもってしまっている。
これは政治の世界だけではなく身近な我々の企業でも同じことが言える。
自分たちの将来と会社の発展とを真剣に考え覚悟して仕事に当たればそれだけで単純に20%ぐらいの成果アップは実現できる。
あまりにも多くの情報の中で妙に客観的になり過ぎて、果たしていったい自分は今どこに立っているのかさえ把握できない状況を自ら作り出してしまって、結果その中で悶々としている。
突如、部屋に開いた窓から迷い込んできた小鳥が、入ってきたはずの出口が見つからずバタバタと飛び回っている姿によく似ている。
人は落ち着いて自分の置かれた状況を冷静かつ真剣に考えてみれば、何をすべきかはそれほど難しくなく見つけられるはず。
何をそんなに慌てるのか、何をそんなに難しく考えるのか・・・。
自分のすべき役割をしっかり理解していればどんな苦境に立ったとしてもおのずとその解決策は見えてくる。
もし、うまくいかないとしたら、本気でその方法を実践するだけの覚悟が足りないのだろう。
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文化、歴史遺産

倉敷繊維産地が日本遺産に認定されたことが報道されている。
倉敷の現在にい至るまでの様々な産業活動は特に繊維産業を中心として日本遺産に認定される価値はあると思う。
しかしながらこれまでの経緯を考えると、どうもそれ以後新しい産業活動はほとんど生まれてないように思う。
そのほとんどは過去の歴史に支えられて、その流れを踏襲するにとどまっている。
考えてみるに、昔の人たちが新しい産業を興すためにあれこれ考え挑戦してきた状況と、今の人たちがその流れにただ乗っているだけの状況には大きな違いがあると私は思う。
過去の人たちに敬意を払うことはいいことだと思うが、おそらくその人たちから見るとなぜに我々のやってきたことを凌駕するようなことをやらないのかと不思議に思うのではないか。
少し前に、あるジーンズメーカーの若い社長と話したことがある。
初代経営者の努力に敬意を表しながら先祖を振り返り今一度それらの過去の商品を見直してみるという趣旨の話しをしていた。
それに対して私は、それは全く逆ではないか、恐らく初代経営者の気持ちは、彼らがやってきたことをそのまま後継者が踏襲することを望んではない、反対に自分たちのやってきたことを土台にはしてもそれをどんどん乗り越えて行ってほしいと思っているに違いないと言った。
しかしながらその結果は、新しい世界に飛び込むより過去の思いに引き込まれてしまった。
遺産というのは時として大きな力を発揮するけれど、反対に後輩たちの進むべき道を大きく拘束することにもつながる。
古いものがなくなるということは必ずしもいいことではなく、そこには様々な努力や工夫の跡がたくさん残されている。
かといって、今さら綿花を栽培して糸を作り紐を織り昔の手法でジーンズを作ることにどれだけの将来性があるのだろうか。
一つの史実として残していくというのであればそれなりの価値はあるだろうが、それが主になるということであれば疑問である。
時代は過去には決して戻らない。
いくら過去を掘り下げてみてもそれは単に思い出の世界で慰めあっているに等しい。
厳しい言い方をすれば過去の経験は大切にしつつも次の時代を動かしていくべきことに力を注ぐべきであろう。
遺産は時として、時代とともに前に進んでいくべき人たちに大きな勘違いをさせてしまう。
元総理大臣・・はあくまで過去のことであって名誉ではあっても現実ではない。
今のファッション業界の問題点は新しい主張がなく売れることが第一になってることで楽しさも刺激も非常に少なくなってしまっていることだ。
遺産の価値を決して否定しないが、遺産に頼ることの希薄さと危うさも知らなければならない。
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継続すること

継続は力なりと言われるが、一つのことを継続し続けることは大変なことである。
一流のスポーツマンや芸術家、音楽家など一つのことに集中して継続することでその世界を極めている。
誰れしもそうしたいと思いつつ、果してこれを続けることがいいことなのだろうか、他にもいいことはあるかもしれないなどと人は考え易く結局は途中で方向転換してしまう。
継続しなければ到達できない世界がある。
それは分かっていても果してそこに何があるのかよく分からない。
継続する人はその先に何があるとかということよりも継続することに価値を見出すことができる。
デニムスーツ、たかがデニムスーツ。
この世界に集中継続することは、どこかでそれだけでいいのだろかと不安になる気持ちを否定はできない。
それはどんな世界でも同じことで、先の先までが読み切れるわけはないので常に不安と自信は裏表でやってくる。
だからこそ、日々新しいこと新しいやり方を考え、できる限りの可能性を引き出すことに力を注ごうとする。
前例のないこと、人のやらないことをやることを私は判断の基準として来た。
結論より結果が大事。
要はあれこれ悩んで考えてどうするかの結論を引き出すより、とことん考えたのであれば思い切ってやってみることがどれだけ生きた答えを引き出してくれるかを知るべきだろう。
このデニムスーツに関しての私の自信は、世界中の誰よりも考えを重ね、まざまな実践と経験を繰り返したというところから生まれていると思っている。
その努力を継続する限りデニムスーツの魅力は決して減ることなく反対にどんどん広がっていく。
今はまだスーツの中のデニムバージョンという見方は強いと思うが、いずれデニムスーツというカテゴリが確立できるはずだと思っている。
その昔、ジーンズとはリーバイスだと言われた時代があった。
われわれの目指すのは、デニムスーツとはインブルーだという世界である。
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今と昔

私の末娘の結婚式に合わせて帰省していた孫たち。
今回はその関係もあり長期滞在になった。
それなりにあれこれ遊ぶことは沢山あるが、我々は盆休み以外は当然ながら仕事がある。
こと私に関して言うと、娘の結婚式が終わってなぜか気が抜けたのか珍しく風邪をひいたようで、38度近い熱が出た。
薬を飲めば熱は下がるのだが喉の調子が悪く痛みもあった。
そのうち声が出なくなって喋れなくなってしまった。
結局、盆休みの間中、熱と声に悩まされながら家から出られなかった。
それにしても暑い夏。
関東以北では気温が低かったり雨がよく降ったりと変則的な夏模様になっているようだが、このあたりではまさに夏の暑さの真っただ中である。
夏といえば家の中より家の外に出て遊ぶことが多かった昔が、今ではあまりの暑さに熱中症や日焼けに気を付けなければならない。
容赦ない暑さが迫ってくるのでそう簡単に外で遊ぶことも難しい。
蝉、カブト虫、クワガタ、トンボ捕り。
スイカやトマト、瓜などを井戸に浸けて冷やしたりしていた。
井戸は今でもあるが飲水に使うことはできない。
エアコンはなくて涼を取るには団扇がメイン。
それでも座敷の障子をすべて開くといくらかの風が通り抜け昼寝をするには十分涼しかったと思う。
土壁に土間が結構夏の暑さを防いでくれていた。
簾、縁台、風鈴は大して効果はないが今思えばなかなか風流だったなと懐かしい。
エアコンと清涼飲料水が今の時代を代表する。
私の子供時代が、電気がなくてもどうにか生活できたぎりぎりの時代だったようだ。
今は電気がなければ一日たりとも生活が維持できない時代になっている。
文明の発達は世界を明るく楽しくするけれど、いき過ぎてしまうと一瞬にしてその生活が破壊されてしまうというリスクを大きくすることにもなっている。
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松山英樹・・・

今日は朝3時過ぎから全米プロゴルフ選手権の最終日のテレビ中継を見た。
彼のこれまでの努力とその戦績からメジャー大会で何とか勝って欲しいと応援してきた。
誰もが言うようにいつ勝ってももおかしくないだけの力を付けていると私も思う。
しかし残念ながら結果は目標達成とはいかなかった。
こういう試合というのは見ていて息苦しくなる。
スタートホールのティーショットを打つまではこちらも緊張した。
第一打ナイスショット、そして第二打もナイスショットでいきなりバーディーチャンス。
このとき思った。
いきなりバーディーを取ればおそらく今日は優勝ありではないかと、もしこれを外すようであればかなり難しくなるのではないかと。
結果外してしまった。
まさに素人評論家らしく言うと、もしこれが全盛期のタイガーウッズだったらおそらくこれは軽々決めて自らその勢いを作っていっただろうと思う。
松山のこれからの大きな課題はここだろうと思う。
こういう強い精神力を要求されるスポーツの場合は、一ホール一ホールをしっかりプレイするという感覚が今の彼だろうが、そうではなく自分は勝つんだ勝つべくしてプレイしているという雰囲気を周りに感じさせることが大きな力になる。
そうするためにはこの一番ホールでのバーディーチャンスを楽々と取ることの意味と価値は非常に大きく、それができれば本当に強くなると思った。
本当に見ていて悔しくて残念だった。
それは本人が一番感じているところだろうが、試合の作為的過ぎない演出(イメージ)を自分の心の中に状況に応じてできるようになって欲しい。
今の日本では松山を凌ぐ選手はいない。
瞬間的には好成績を残す選手はいるかもしれないが世界の実力者が本当に一目置く選手は彼を置いて他にはいない。
ここにも真剣さと覚悟というキーワードが見えるような気がする。
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結婚式・・・・・

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結婚式・・・・華やかで希望に満ちたイベント。
これから全く新しい人生が始まる。
多くの人たちに祝福されてこれほど輝いて心に残るイベントは他にないだろう。
つい少し前までは全く知らない人同士が生活を共にするということはそれまでの人生観を変えるぐらいの重さがある。
光り輝く二人を見ながら、もっと大きな光を放つようになってほしいと願った。
すべて順調にすべて無事にイベントは終わった。
二人だけの写真にした。
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