いつもながらの私流の法則だが最近特にこの法則が正しいことを感じる。
特に今回は言葉に関しての法則。
今では伝達方法がたくさんできたので様々な言葉が使われるようになった。
特にインターネットの普及はそれを加速させた。
携帯電話には省略された言葉が縦横に飛び交い古い人間には何を言っているのかさっぱりわからない。
昔なら鹿児島と青森の人が会話をしたら一体どうなるのか・・・というほど同じ日本の中でも地域によって言葉が大きく違っていた。
それは当然で言葉はその地域、集団の中で生まれ育っていくから離れた地域では大いに異なっていたというのはよくわかる。
現代はそういう地方ごとの言葉違いはそれなりに存在するけれどテレビ、ラジオなど標準語の普及でほとんどの人が聞いて理解することができるようになった。
それはそれでいいことだと思う。
問題なのはあまり言葉が自由にかつ簡単に作られるようになったためにそれで分からない言葉がたくさんできたこと。
日本の歴史の中でみれば確かに言葉は年月を経て変化している。
しかし最近の変化はあまりにも激しいのではないか。
新しい言葉が生まれてくることはそれは時代の変化に対応するためには必要なこと。
ただいくら新しい言葉を作り出したとしても十分に言いたい内容が相手に伝わらなければ困ったことである。
表現が巧みになればなるほど結局何を言っているのかわからなくなることもある。
若者の場合は良くはないがまあそれも仕方ないかなと思う。
しっかりして欲しいのは肝心の大人たちだ。
今の政治家の特にトップに立つ人たちの表現にはその兆候が著しい。
「不退転の覚悟で・・・。」「政治生命をかけて・・・・。」意味はよくわかる。
しかしその言葉はどういう場合に発してどういう覚悟でどういう責任を取らなければならないのかがはっきりしない。
だからいくら強い口調でも、いくら厳しい意味を持った言葉であっても相手に同じような厳しさが伝わらない。
「国民のために」という言葉はよく使われるがこれは言葉は格好いいがどこまで国民のためを思っているのかが全く伝わってこない。
格好よい響きや語彙の多さは一見、花畑のようできれいではあるが相手を説得できる力はもたないかも知れない。
かつて「不言実行」という言葉がもてはやされた。
そして今は「有言実行」だと思う。
しかしその有言実行も的確な実行があってこそ初めて相手に伝わるし説得することができる。
言葉の数がどれほど増えていこうが一番大事なのは 「よしわかったそれでやろう」
と言って適切な時間内に確実に実行してその成果を示すことである。
言葉数は少なくても実行する中身が大きくて我々のためになることであるのがいい。
これはトップに立つ人ほど大切なことである。
言葉数が多くて実行ができないでは言葉の持つ意味や力が全く生きない。
「ドジョウ」だとか「ノーサイド」だとか格好いい言葉はどうでもいい。
それは雰囲気言葉でしかない。
中身が薄いほど言葉の数が増える。
なぜなら自分の言葉の意味も説明しなければならなくなるから。
結果うまくいかなければまたその上に理由をうまく説明しなければならない。
実質的な重さを持つ言葉は本当に本気である人間しか発することはできない。
簡単に説明できる表現が増えれば増えるほど考えや想いが十分に伝わらなくなるのは質量不変の法則そのもののように思う。