考えて、話して、動いて。

最近の科学技術の進歩はすごくて、どうにも私には理解できない、ついていけないことが多すぎる。
とにかくそれらを使いこなすことができればこれほど便利なことはないということなのだろう。
それでもそれだけ人間らしさが失われていくようにも思う。
おはよう。                                                          ・・。                                                              今日も元気かい。                                                     ・・。                                                             ちょっと元気なさそうだね。                                                 ・・。                                                     心配事でもあるのかい。                                                ・・。
こんなごく普通の会話がだんだん少なくなって特に若者の間ではテキストによる単なる伝達行為が多くなっている。
人はもともと言語以外に相手の感情や思いを感じ取る力を持っている。
それは小さいときから考え、話し、行動することを繰り返すことで身に付けたごく当たり前の基本能力だ。
最近は人の顔をしっかり見て感情豊かに会話をしながら相手の言いたいことも理解するというごく普通の能力が危うくなっている。
身近な最近の例だが、相手の状況も考え方も全く斟酌も意識もしないである日突然「仕事辞めます」という。
自分の意思表示を明確にすることは確かにしっかりしていると思えるが、そこに至る過程がほとんど省略されて伝わってこない。
考えて、話して、行動することが人間の人間らしさだと考えれば、どうもそのらしさを放棄しているとしか思えない。
一日中机の前に坐ってパソコンを操作しているなら次第に足腰は弱くなり、その結果ほとんど動かない人間はどこか体の調子がおかしくなる。
動き回ることは人間にとって非常に大切なことで体を正常に保つためには欠かせない。
そしてまた頭を使い、考え、人と話をすることが人間の脳を大いに刺激し精神的にも健康でいられる。
家の中に閉じこもり同じことだけを繰り返し考えていることは人間にとって健全な状態ではない。
体を動かすこと、頭を使うこと、口を動かすことは、それ以外にも大切なことはあるだろうが少なくとも人間らしい生き方を維持するには大切なことだと思う。
世の中がどんどん便利になればなるほど人は動かなくなり広範囲には頭を使わなくなる。
最も基本的な能力がどんどん失われていくことになる。
一般的時代の流れとは反するかもしれないが、これからの時代は科学技術の発達とともにその対角線上にある第一次産業の世界が大いに見直されてくると思っている。
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